ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第78回 伊藤 麻美さん

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伊藤 麻美さん
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寝耳に水だった、会社の危機
- 佐々木
それは、どなたから、どう知らされたんですか?
- 伊藤
母が連絡してくれました。今振り返ってみると、もう、父が亡くなった翌年から、かなり業績はダウンしていっていたんですね。だから、赤字になったのは昨日今日ではなかったんです。
従業員の人からも、たとえばお給料の遅配があったり、「どう考えても、これでは将来、会社が明るくない」という話が母のもとにあって、「資金繰りが非常に悪くなっている」と。それで、住んでいた家は、最初父が買ったんですけど、会社名義にしていたんですね。担保にもちろん入っていますから、「売らざるを得ない」という話が出てきて、「帰ってきたら家がないかもしれない」って言われたんですよ。
私にとっては家というのが、もう家族同然で。やはり三十数年間そこで暮らしている、両親の思い出もありますから、その家をなくすというのは自分にとっては非常に大きな問題だったんですね。「ああ、これじゃいけない」と思いました。でも、まだ会社組織のことが分からないので、「どうにかならないの?」って聞いたら、「資金繰りが悪化しているし、銀行からは返済を求められているし、景気も、日本は低迷していっている」と。「早く帰ってきてちょうだい」ということだったので。
そのとき、GIAで資格は取り終えていたんですけど、もうちょっといようかなと思っていたんです。でも、それはもう許されない状態だと思って、帰国しました。
- 佐々木
アメリカにいる滞在費っていうも許されない、っていう、それぐらいの切迫感があったのかしら?
- 伊藤
そうですね、少し母にお金を借りていましたし、自分の貯金は全部投資しましたので。ただアメリカで、たまたまカルティエの社長と出会うことがあって、もしかして働けていたんですよ。だから、アメリカで暮らすという選択肢もあったのですが、「ああ、それはもうなくなったんだ」とは思いましたね。
いずれにしても、一回日本に戻って状況を見ないと、次の自分のステップには進めないなと思って、それで戻ったんです。
7/24
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