ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第78回 伊藤 麻美さん

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伊藤 麻美さん
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偶然耳にした、父からのメッセージ
- 伊藤
うちはメッキ、表面処理の会社で、分野はもともと腕時計がメインだったんです。国内のすべての大手メーカーの指定工場だった。その時はよかったんです。ただ、当時、「時計産業は、もう成熟産業で空洞化していくから」ということで、メーカーがアジアに出る準備をしていたんですよ。「アジアに拠点を置く」という意味では、時計メーカーはかなり早いところからスタートしていたんです。
そのとき父が言っていたのは、時計に依存しないメッキをするか、私が娘ということもあるんで、これから環境問題も厳しくなるから、業種転換をする、と。「いい時にしかそういう判断はできないから、それも一つの方法だ」と言っていたんです。
- 佐々木
それは何歳ぐらいの時に聞いているんですか?
- 伊藤
二十歳ぐらいですかね。私に話していたんではなくて、だれかと話していたことを、私が聞いたかなにかで、記憶にあるんです。
- 佐々木
それって、すごく大きなメッセージですよね。経営の話とか戦略の話ってなかなか耳に入らないから、亡くなってしまった後ではどうにも分からないけど、なんとなくお父さんの気持ちが残っているのね。
- 伊藤
私に継がせるつもりはまったくなくて、「できるわけない」と思っていたので、話したのかも(笑)。
- 佐々木
(笑)そう?
- 伊藤
そういった父のメッセージを、後の人たちはどれも言うことを聞かなかったんですよ。「そんなの聞いてない」とか言って、ただ時計に依存していって。もちろん売り上げは下がっていき、下がっていってもほったらかし。赤字が出たら、持っていた資産を売って……っていう。
生きつないでいた、っていうんですか。だから、私がアメリカから帰ってきた時には、もう、資産を売りつくして、すべてなくて、残っていたのは住んでいた家だけだったんです。そんな状態なのに、その間に工場を建てているんですよ。
- 佐々木
え? それは、何か戦略があっての積極的な行動?
- 伊藤
いえ。「今、建てなくてもいいじゃない」っていう工場だったんですよ。業績が悪化している時に、やることでは……。それも内緒でやっちゃって、それこそ普通、取締役会とか株主とかなんかやりますが、まったくなくて。
銀行も悪いんですけど、それでも貸しちゃったんですよね、お金を。それまでは無借金で資産があったのが、資産がなくて借金だけが膨らんで、運転資金もなくなって。私がちょうど7月に帰ってきたんですけど、12月になって、「年を越せないんじゃないか?」っていうぐらい緊迫していたんです。
- 佐々木
そんな話を、成田からの車の中で、一気にお母さんから、「こうよ、ああよ」っていろいろ説明されたのですね。
- 伊藤
言われても、全然分からない(笑)。
9/24
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