ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第94回 キャシー松井さん

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ゴールドマン・サックス証券株式会社マネージング・ディレクター/チーフ・ストラテジスト/汎アジア投資調査統括部長
キャシー松井さん
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早く、アメリカ社会に順応するように、と
- 佐々木
お母さまはそれを手伝ってらした。
- 松井
手伝っていました。ずっと。で、子どもがみんな独立というか、大学に行って、私の一番下の弟が、家から出て間もなくまでは働いていましたけれど、ある程度安定したら、ママはお茶の先生になったんですよ。
- 佐々木
どこでお茶を習ったんですか?
- 松井
サンフランシスコに通ってですね。日本でももちろん少しやってましたけれども、やっぱり少し時間が作れるようになったら、日本の文化を大切にしないといけないかと思って。
当然カリフォルニアはやりやすい環境じゃないですか。結構、日本のことを好きなアメリカ人がいっぱいいますから。それを趣味として再度始め、今は裏千家の先生をやっているんです。約二十何人の生徒。13歳から上は80歳まで。日系人の人もいるし、完全アメリカ人、日本のことをほとんど分からない人も。
- 佐々木
お父さんお母さんは、アメリカに行ったときは、当然、言葉も文化も全く何もないところからスタートして、完璧にもう……。
- 松井
そうそう。高校しか出ていない両親ですので、とにかく、いち早く、アメリカの社会に順応するように、一生懸命。だから子どもにも、そうさせたんですね。
他の日系の家族や、中国系、韓国系の家族のように母国語の重要性をあまり気にしなかった。例えば家で必ず日本語しかしゃべらない、というような規則は全くなかったんですよ。
- 佐々木
それがお父さんの方針だったんですね。
- 松井
まあ、方針というか。だから日本語はく下手なんですよ、二世としては。私は一番達者なほうですけれども、兄弟はほとんどしゃべらない。分かるんですけれどね、あまりしゃべらない。
家の中では、例えばこれがダイニングテーブルだとすると、両親があっちで日本語、関西弁。こっち4人の兄弟が英語でしゃべる。聞くのは日本語、でも答えるのは英語。すごく妙な、中途半端な環境でありましたけれど、とにかくアメリカにずっといるんでしたら、アメリカの社会にいち早く入る、という考え方でしたね。
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