ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第98回 金野 志保さん

98 |
金野 志保さん
|
|
|
母は、生活面が厳しかったです
- 金野
でも、母は「ほめて伸ばす」たちでもなかったような気がするんです。全般的に厳しかったですから。
- 佐々木
どういうふうに?
- 金野
勉強しなさい、とか言われたのではなくて、生活面が厳しかったです。大学に入ってもしばらくは門限が8時だったり。飲み会の時はもう少し遅くでもいいのですが2次会はダメとか、塾のアルバイトの後のバイト仲間での飲み会はダメとか。心配性なんですね。社会人になってからも、帰宅が遅いと駅まで迎えに来る、そんな感じでした。
- 佐々木
一人っ子ですか?
- 金野
いいえ、弟が2人いるんですが、女の子が1人なので。女の子は心配、というのがあるんでしょうね。弟たちはずいぶん自由にしていたので、不公平だ、とかなり苦情は言ったのですが(笑)。
- 佐々木
弟さんたちは、どんな仕事を?
- 金野
上の弟は自動車関係の仕事で、下の弟は同じような自動車関係だったんですけど、今は父の会社を継ぐべく、よその会社で修業中です。父は、元々は普通にサラリーマンだったのですが、私が小学生だった頃に、いわゆる「脱サラ」をして会社を設立しました。今なら「起業」っていうのでしょうね(笑)。まあ、法学部を出たから、会社のつくり方くらいは知っている、といった感じで。バブル崩壊にも耐え、今でもその小さな商社を経営しています。
- 佐々木
お母様は?
- 金野
母はですね、私を産んだ頃から専業主婦をしています。
- 佐々木
じゃあ、金野さんは、小さい頃から働くものだと思って職業を選んでいるように聞こえたんですが、お母さんは働いていらっしゃらなかった。ということは、お父様の洗脳法かしら?
- 金野
いえ。少し違います。母はものすごく優秀な人だったようなんです。田舎出身なんですけど、「田舎の星」みたいな人がいるじゃないですか。特に努力しなくとも、勉強もスポーツも何でもトップで……みたいな。就職した後も、「○○会社に○○さんあり」と言われるぐらい良くできる社員だったらしいのですけれども。私が生まれたばかりの頃、私が非常に体が弱かったので、母はキャリアをあきらめたようなのです。このままだとこの子は死んじゃうんじゃないか、と思って、育児のために専業主婦になってしまったらしいのです。
- 佐々木
じゃ、働いていたお母さんなんですね。
- 金野
はい、私を産むまでは。でも、優秀な人が専業主婦になってしまうと、どうしてもくすぶってしまうということがあるじゃないですか。小さい頃からそんな母をずっと見てきたので、私は仕事をしないとだめだ、そして母が諦めたキャリアの分も頑張ろう、と思っていたのだと思います。
- 佐々木
お母様から教えられたことで、印象深いことは?
- 金野
勉強しなさいって口うるさく言う感じじゃないのですけど、躾や生活面にはうるさかったですね。私は中学高校時代バレーボール部で部長まで務めたりと、とにかくバレー部のクラブ活動を一生懸命やっていたのですけど、他方で勉強も一定の成績をとれるよう頑張っていました。それは、勉強をきちんとやらないと、絶対に、母から「バレー部をやめなさい!」と言われるに決まっている、と思っていたからです(笑)。
ですから母親から言われなくても自主的に試験前になったら一生懸命勉強して何とか成績のつじつまを合わせ、普段はバレー部を一生懸命やって……という感じでした。
4/22
|
 |
|
|