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今週のテーマ
会議番号:2244
お墓参りの際に、死者のたましいを感じますか?
投票結果
48
52
363票
398票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2007年08月27日より
2007年08月31日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
現在の時点では、お墓参りをしたときに、死んだ人のたましいを感じない人が、感じるという人をわずかに上回……
議長コメントを全文読む
1日目までに届いている投稿から...
自分に近い人が入っていると (ALOHA・東京・パートナー有・34歳)
子どもの頃から祖父に連れられてお参りをしていましたが、実際に会ったことのある人が入っていないので、「お墓参り=先祖を大事にすること」でした。でも大人になって、祖父と父が亡くなってからは、手を合わせながら心の中でたくさん話すようになりました。いいことがあったら報告したり、悩みだったり……。あとはお願い事が多いです。それは仏壇でも同じです。若くして亡くなった妻のお墓に孫(私)を連れてお参りに行っていた祖父の気持ちを想像することができるようになりました。
亡くなってすぐの頃はよく…… (Struppi・海外・パートナー有・35歳)
数年前に妹が急逝し、我が家で初めてお墓を建てました。「まだ20代で若いのにこんな小さなお墓が住み家になるなんて気の毒だ」と涙が止まりませんでした。そのお墓と記念撮影をしたら親戚の2歳の子が「○○ちゃん(妹)もいるよ」と言っていたのでその時は妹の魂がいたのかな、と。帰省する度お墓参りに行きますがだんだん妹の気配が薄くなっているような気もします。<あの世>や<死者のたましい>のことは分かりませんが、大事な人であるほど、そういう存在を強く感じるのは確かです。
姉は見てくれている (IPウーマン・東京・38歳)
幼少の姉を亡くしました。それから30年以上が過ぎましたが、両親は未だに姉の魂を感じるようです。私の娘を見ては「○○ちゃん(姉の名前)はこんなだったのよ」等。私には姉の記憶がなく、そういう気配を感じたことはありません。お墓参りも行ったり行かなかったりです。死者に対する私の考え方は、「千の風になって」の歌詞や、「From a Distance」という歌の歌詞を合わせたような感じに近く、どこか遠くの空から見てくれている、という風に認識しています。
大切なことを思い出すため (アンジィ・東京パートナー有・)
たましいなどを感じることはありませんが、いつも家族でお墓参りにいくと、お墓に水をかけタワシでごしごし洗ってから、お花を供えお水を新しくします。それから順番に、ご挨拶をするわけですが、その時に心に浮かぶことは自分にとって大切なことが何なのかを再認識するようなことばかりで、ご挨拶の後は暖かい気持ちになります。先祖の供養はもちろんですが、私たち家族のためにも大切な行いとなっています。
思っていることを形にすること (白井 直)
以前はあんまり意味を持っていませんでした。でも、大事なお友達が亡くなってみて、大事な行為の一つと思っています。あなたのことを考えていますよ、忘れていませんよ、ということを伝える行為でもあり、思い出す、残ったものが心の整理をする大事な時間とも思います。心ひそかに思っている方も、この日だけはおおっぴらに話せる日かも知れません。また、年に数回集まる時期が決まることで、親戚や知人が集まる、生きている人をつながらせる大事な時間とも思います。
お墓掃除?! (kimirie・兵庫・パートナー無・37歳)
我が一族の場合、二つのグループに分かれ、お参りに行きます。一つは、春と秋のお彼岸。もう一つは、お盆とお正月。で、恒例化し、義務的に行っているようであり、年に数回の一族の集まりを楽しんでいるようでもあるように思います。個人的には、父のお骨は、お墓ではなく、納骨堂に納めたこともあり、形式的にお墓参りに行くよりも、日常的に、故人を思い、写経をしたり、お供えをしたり、心のどこかで、一緒に生きている方が、お墓参りで思い出すより、ずっといいような気がします。
日本人の宗教感を改める。 (さいたに)
私は死者のたましいは感じません。霊感がないからです。ただ、お墓参りや神社を詣でる事は良い事と考えます。多くの日本人は、これらを宗教と無関係の行為と考えますが、実質的には宗教的活動なので、もっと多くの日本人が宗教心を持っていることを認識すべきと思います。心の問題が社会現象化していますが、日常の行動と意識を一致させる事は、心の健康に大事です。明治神宮や京都のお寺などでは、キリスト教などの人が、神や仏を拝んでいます。世界的にみればこれが宗教心なのだと思います。
魂は感じませんが…… (コロコロちゃん・熊本・パートナー有・31歳)
私はいわゆる田舎の長男の嫁です。お盆と正月は必ず本家の家にいきます。仏壇へのお参りも朝・晩かかしません。最初はとまどいもあり、なんでここまでと思ったこともありますが、やはり自分が先祖になったときのことを考えるとここまでしてもらって、思い出してくれてありがたいと思うだろうな。と感じました。子どもたちも小さい頃からみて育つので先祖を大事にする気持ちは自然と身につくと思います。が、たましいを感じたことはないですね。
2日目の円卓会議の議論は...
「千の風になって」の歌詞の評価は?
現在の時点では、お墓参りをしたときに、死んだ人のたましいを感じない人が、感じるという人をわずかに上回っています。たましい、あるいは霊魂のようなものを実感するかということになると、その点でのリアルな感覚は弱まっているのかもしれません。
しかし、お墓参りという行為自体は、故人とのつながりを感じたり、自分を見つめなおしたりする機会として、肯定的な捉え方をしている人が圧倒的に多いと感じます。もっとも、なかには義務的な事柄として受け取っている人もいるようです。
私は研究仲間と一緒に10年以上にわたって、毎回数千人の学生を対象にしたアンケート調査をしています。その結果を見てみると、学生たちは初詣には家族と別に行く人がけっこういますが、お墓参りには圧倒的に家族と一緒に行く人が多いのがわかります。つまり、墓参りは今でも家族で一緒に行う宗教的な儀礼だということを意味しています。
そういう意味では、死者のたましいを感じるから墓参りをするというよりは、時を越えた家族とのつながりを確認するためにおこなうという人も少なくないのかもしれません。
ところで
「千の風になって」の歌詞は、聞きようによっては、お墓にはたましいなどはないと言っているようにも理解されます。
この歌は、お墓には死者のたましい、あるいは霊魂が宿るというような考えに対し、どんな作用をすると考えますか。
ご自身がたましいがあると思う、思わないにかかわらず、この歌の影響について意見をいただければと思います。
井上順孝
國學院大学教授
「学校での「宗教文化教育」は、必要?」
2006/3/6 - 2006/3/10 井上順孝さんサーベイ
「9.11が変えた「私」と「世界」〜期間限定掲示板」
一体、宗教って何のためにあるんだろう?
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