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今週のテーマ
会議番号:2244
お墓参りの際に、死者のたましいを感じますか?
投票結果
48
52
476票
513票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2007年08月27日より
2007年08月31日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
「千の風になって」の歌詞に共感する度合いは、お墓参りのときに、死んだ人のたましいを感じるという人とそ……
議長コメントを全文読む
2日目までに届いている投稿から...
身近な人の死以降感じるように (eikototoro・愛知・パートナー有・34歳)
幼い頃は大人に連れられて形ばかりのお参りをするのみでした。しかし実際に身近な人の死に触れて、お墓に納骨をするという儀式を経験することで、亡くなった人を通じて墓参りや供養ということが身近になったと思います。確かに「千の風になって」のようにたましいは肉体を離れて自由になっているイメージを持っているのですが、お墓を前にするとここに入っているんだという感覚は強く、会いに来たよと手を合わせています。
自分とともにある (リリーベル・埼玉・パートナー無・26歳)
私は、今年の春先に初めて「千の風になって」を聴きました。そのとき、お墓にいませんとは斬新だな、では何の為にお墓はあるの、お墓にいなくてどこにいるのと思い聴いていたら風なんだ、と。風は、自分が肌で感じたり、耳で音を聞いたり、竜巻のように目で見たりできます。恐らく自分が故人を感じたり、思い出すときには、いつでも故人は自分とともにあると表現したいのではないかと、私は思います。
魂は死んでいない (Perla・千葉・パートナー無・38歳)
最近スピリチュアル世界に関心を持つようになり、自分の思想に少しずつ影響を与え始めています。スピリチュアルな考え方において「死ぬのは魂の器である肉体だけであり、魂そのものは生きたままである」と説かれていますが、確かにそうなのかな……と感じる時があります。千の風になっての歌詞「死んでなんかいません」、これは、生きたままの魂は既にお墓にはおらず、新しい器(肉体)を探して生まれ変わりの準備を既に始めているのだ……と語っているように感じられます。
死後の象徴 (ひーちゃろー・埼玉・パートナー有・39歳)
お墓の中には、亡くなった方の遺骨があり、魂は、地球上にあるのだが、お盆にはお墓に帰ってくる。生きていくことがつらくても、簡単に死を選択しないように、かつ、死というものが未知なる恐怖になりすぎないように、先人が特に子供のために考えた表現なのではないかと最近私は思います。最近のアニメなどの影響で、死んでもリセットボタンで生き返ると思う子がいるということ。大人にとって死の概念は多様化していても、子供にどのように説明ができるのかを問われているテーマとも感じました。
お墓参りは会いに行く (youyouchan・千葉・パートナー無・31歳)
私はお墓参りはこちらから死者に会いに行くという意識が大きいです。「千の風になって」ではありませんが、私は祖母はとんぼ、父は烏というように他の姿になって会いに来てくれていると以前から何となく感じています。
New Age思想の日本到来 (tulip・福岡・パートナー有・35歳)
「千の風になって」の歌詞の内容は、50〜60年代以来、欧米で流行っているNew Age思想の延長線上にあると思います。New Ageというとエンヤなどの音楽をイメージすると思いますが、元々は、仏教的思想(特に輪廻転生)を基本とし、それに他の宗教の要素も取り入れて、作りあげられた考え方です。New Age思想が、「千の〜」を通じて本格的に日本にも参入して来たと私は見ています。この歌を皮切りに、日本人の仏教観も宗教観も少しずつ変質していくものと思われます。
3日目の円卓会議の議論は...
お墓参りはどうなっていくのでしょうか。
「千の風になって」の歌詞に共感する度合いは、お墓参りのときに、死んだ人のたましいを感じるという人とそうでない人とでは、少し違うのかもしれません。
身近な人の死を経験したeikototoroさんは、この歌に共感する部分もありながら、故人はやはりお墓にいるんだという感じをもたれたようです。身近な人、愛する人のお墓の前にたたずむとき、そこにいて欲しいという思いがわいたという経験をお持ちの方も少なくないでしょう。
お墓まいりで、たましいがあると感じない方は、「千の風になって」の歌詞に、より親近感をもちやすいかもしれません。リリーベルさんのように、この歌の歌詞のなかでも、とくに風という響きに、故人を感じさせるあたらしい何かを読み取っていますね。
この歌は死者とのふれあいの場所をお墓からもっといろんな場所へと広げると同時に、時間的にも広げています。つまりいつでもどこでも生きている人を見守っているということを歌い上げています。
これをつきつめると、確かにお墓は故人をしのぶための伝統的な空間であるけれども、そこだけが故人をしのぶ場に特化されていていいのだろうか、という疑問にもつながります。
お墓参りという形で故人をしのぶという伝統は、これからもそう大きくは変わらないかもしれませんが、これとは違うあり方が提示されているからこそ、大ヒットしたとも考えられます。
お墓参りをして、死者とのつながりの時間をもつという、この伝統的な形式は曲がり角を迎えているのでしょうか。何か死者とのつながりに関して、もっと広い世界が求められているのでしょうか。
現在の墓参りがどのような雰囲気のなかでなされているのかなどを含めて、いろいろ意見を述べていただくとありがたいです。
井上順孝
國學院大学教授
「学校での「宗教文化教育」は、必要?」
2006/3/6 - 2006/3/10 井上順孝さんサーベイ
「9.11が変えた「私」と「世界」〜期間限定掲示板」
一体、宗教って何のためにあるんだろう?
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