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2002/6/24(月) - 2002/6/28(金)
5日め

テーマ収入に応じて家事を分担するべき

今日のポイント

家事は二人でする方が楽しい。

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辰巳渚
辰巳渚 マーケティングプランナー

家事を労働ととらえるかどうか。「労働」ではない、と考える人、「労働」だと考える人、両方いましたね。「労働ではない」ととらえる人は、家事の定義を「生活していくためにこなさなければいけない必要最低限の雑事……

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家事は自分のために(もーも・既婚・34歳)

結婚して共働きのころは生活費もお互いに出し合い、家事も自然に分担が決まって、心地よく生活していました。やがて二人の子どもが生まれ、わたしは専業主婦となり、生活費を分担することはできなくなりました。が、夫は今も週末の夕食を作り、わたしが疲れて眠ってしまえば黙って皿を洗い、翌日の米を炊飯器にセットしておいてくれます。お風呂も掃除してくれます。ごみも当然出してくれます。夫は「分担だから家事を手伝っているのではない、やりたいからやっている」と言います。わたし自身も、子どもの世話などで疲れたな、と思うことはありますが、家事を「労働だからやらなくちゃ」と思ったことはありません。実際、掃除をしなくても、食事の手を抜いても、かたづけなくても、夫は文句を言いません。わたしが家事をするのは、自分が心地よく生活したいからで、誰かのためにやらなくてはならない労働だからではありません。ですから家事に対して換算してほしいとは思わない。もちろん家事に対する感じ方は人それぞれですけれども。

家事は快適に生きるための自分や家族へのサービス(uvic)

労働報酬を得られるのは、その労働によって生まれた恩恵の受け手が他にいて、その受け手が、恩恵に見合う支払いをすることによって最終的に給与という形でお金が手元に入るしくみ。家事は結局、自分や家族の世話。恩恵を生み出すのも、受けるのも自分や家族。衣食住を柱に快適に暮らすためのちょっとした工夫であり、嫌なら何もしなければよい。必要最低限の「快適さ」の確保に努力した自分が、快適さという「恩恵」を受けている自分に報酬を払うのか?つまりドローですね。

もっと明確な基準を求めるべき(猫またぎ)

テーマ設定の「収入に応じて」という表現にも問題があります。というのは、すでに誰かが書かれていましたが、多くの職種で、依然として男女の賃金格差は存在するからです。その点を考慮しないと、女性の負担ばかりが増えてしまうことになります。あと、「家事は『労働』ではなく、創造的な作業」という意見にも、全面的には賛成できません(たしかに、心の余裕がある時には、創造的にこなすこともできるのですが)。家事を担わざるをえない状況に女性が納得する(あるいは、女性を納得させる)ための欺瞞に思えます。気付いたほうがやる、というのでは、女性にしわ寄せが来るのは目に見えています。現在では家事参加する男性も増えましたが、まだまだ、自分(だけ)が楽をしたいと思っている人が大多数ですから。人間らしい暮らしとやらを求めるのならば、それは基本的には、自分自身の手で作り出されるべきです。他者に依るばかりではなく。家事労働分担の、もっと明確な基準を求めるべきでしょう。

家事は「労働」ではなく「生活の一部」では?(さとポン・東京・既婚・30歳)

結婚後、収入はわたしのほうが多かったのですが、家事分担は関係なくほぼ半々。担当する家事は決めず「帰宅が早いほうが食事を作る、もう一人は洗い物」「掃除するから洗濯お願い」とか、一方に負担がかたよらないようお互い心掛けてますね。当然(?)大抵の男性は、最初から家事ができるわけないので(自分を含め今は女性も?)、誉めておだてて失敗しても怒らず、気長に構えました。口出したくなってもその時は我慢! 次やるときに「こうした方がいいよ」とアドバイスっぽく、さりげなく。もちろんケースバイケースで仕事が忙しい時、疲れた時などは手抜き、外食などもありです。気乗りしない時は2人で怠けたり(笑)。ちなみに、財布は一括でまとめてお小遣い制。貯金ができそうにない夫の希望でしたが、子どもができた今では正解だったと思います。現在は出産のため退職し無職なので、時間のあるわたしが家事全般をしています。でも、妊婦に負担の大きい風呂掃除、布団あげは夫担当。食器洗いも普通に行なってくれます。

夫の収入は二人で稼いだもの(emichan・兵庫・既婚・50代)

結婚して今月で22年になります。少しアルバイトはしましたが、ほとんど無職で過ごしました。実際にお金を稼いでいるのは夫一人ですが、わたしは結婚以来一貫して収入は二人で得たものとして捉えてきました。収入に応じて家事を分担するという発想の中には「生産労働が家事労働より価値が高い」といった差別を感じます。ひいては収入の高い仕事をしている人は低い仕事をしている人より偉いといったような。まあわたしの考えは観念的、理想主義的すぎるかもしれません。でも夫婦の収入が突然逆転する場合もあるわけですから、収入に応じて分担なんてややこしいことはしたくないです。

家事って労働なんでしょうか?(タヴィ・大阪・既婚・40歳)

我が家は8:1(夫:わたし)の収入なので必然的に時間はわたしの方があり、わたしの家事量は多い。でも、二人が一緒に出かけて帰ってきた時は、洗濯の取り入れをしてくれたり、わたしが仕事で夫が休みの場合は、洗濯干し、取り入れ、花の水やりなどをしてくれます。今の状態では不満はないけれど、わたしが仕事量を増やすと夫の家事量は増えるの?って疑問もあります。まあ、お互いを尊重しながらやっていけばいいことなんだけど。家事は夫婦であっても、一人暮らしであってもしなければならないこと。夫婦であればお互いが気持ちよく暮らしていけるように、いま何が一番必要か、優先順位をつけてしていけばいいのでは。

労働とは思うけど(どる)

外の仕事と一緒で、生きるための糧として義務感だけで働くより、楽しく働きたいものです。他の方の書きこみを見て、家計の分担の仕方が家事分担にも影響を与えているように感じました。わが家はそれぞれ同額のお小遣いをもらった上で、あとはすべて共有費としているので、あまり不公平感が出ないんです。相手が多く稼いでくれると、家計全体に余裕が出て、いろんなもの買えたり、リッチに食事ができたり。ありがたくて家事も平気でやれちゃいますしね。二人で稼いで二人で生活して、というスタイル。「労働」とは思うけど、「労働=苦痛」という意識はありません。たまにやりたくなくて面倒には思うけど……。

現代の夫婦間では家事分担は当然(エルム・新潟・既婚)

現代の夫婦において、家事分担はあって当然というか、あるべきだとは思います。でも、その分担比率が「各々の収入に応じて」という点については違和感を禁じえません。もしそうだとしたら、専業主婦の場合は夫は一切、何もしなくてよいのでしょうか?もちろん、専業主婦なのだから家事を専門に請け負うのがその女性の労働だという考え方も成立するのかもしれません。でも、わたしの場合は小さな子どもと老齢の義父を抱えているため(結婚当初は闘病中の義母も抱えていました)、結婚以来、パート勤務しかできず、現在はSOHOとして自宅でコンピュータ関連の仕事をしています。一家の収入に占める割合はけっして夫と同等であるとは言えませんが、そういう就業形態になってしまう理由が必ずしも自分だけに起因するのではないとしても、収入比率で家事を分担すべきなのでしょうか?ちなみにわが家では、夫はほとんど家事を手伝ってくれません。妻の仕事は、家事をした上で余暇にするものだという考えもあるようです。してくれるのは、朝、風呂の水を落としてザッとシャワーで流してくれることと、子どもの着替えを手伝ってくれるくらいですが、本人は自分ほど協力的な夫はいないと思い込んでいるようです。

家事は労働ではない!(そうたん・東京・既婚・30歳)

家事は生活の一部。ヒトとして生きていく以上、ご飯を食べればお皿は汚れ、ごみは出る。お風呂も入るし部屋も汚れる。誰かがやらないとヒトらしく生きていけない。一人暮らしなら自分でやる、まだ子どもで家事ができなければ親がやる。家事=労働なのは、掃除業者の人だけ。家事を創造的なものと捉えるならそれは趣味になるけど、家事を負担に思うのであれば、今はお金で買えるので、清掃業者にお願いすればいい。わたしは家事が好きではないので、休日は何もしない……と夫がやってくれる。でも平日、疲れて帰ってきて家が汚れてると気分が落ち込むので、平日は自分でやる。2歳の息子はなんとも思わないので、何もしない。誰かがやれば済むもので、トイレに行ったらおしりをふくとか、靴が汚れたら磨くのと同じように、家事一切は生活の一部。お金に換算しても仕方ないし、嫌ならプロに頼んじゃえ! それがもったいないと思うから、自分でやってます。夫に「ここ汚れてるよ」と言われたら、「気づいた人がやること! 」と言ってます。結構なんでもやってくれます。収入と対比して考えたことは一度もありません。

OTHERS

収入、時間、家事能力、愛情のバランス配分(エスプレッソ・東京・未婚・30歳)

今の彼と共同生活していますが、彼は学生に戻っていて、バイト程度しか収入がないので、収入比率はわたし:彼=4:1ですね。でも家事負担はわたし:彼=7:1。わたしにとっての家事の定義は「生活していくためにこなさなければいけない必要最低限の雑事」ですから、収入がもうすこし上がったら外部サービスに委託したいぐらい。家事は好きではないので、できれば彼に半分やってもらいたい。だけど、彼の家事能力は限られていますので、彼に家事能力を仕込んで立派な主夫能力を身に付けてもらおうと励む日々です。「柔軟剤を入れるタイミングはここよ」とか「アイロンがけは襟部分はしっかり糊付けしてね」「お風呂ためてね」「荒ごみの日は火曜日よ」とか。ただ、収入がたとえ彼が0だったとしても、100%彼に家事をおしつけるのには抵抗がありますね。家事は雑事なんだけど、どうせやるなら楽しくやりたいし、きちんとやりたい。パートナーと一緒にやるとそこまで嫌じゃなくなりますしね。お互い得意なものを率先してやって、残りは時間の余裕のある人か、上手にできる人、そのとき愛情がある人がやることにしています。だからわたしが彼に対して愛情を感じられないときは彼の家事負担が8割になる日もあります。ふふふ。

ライフスタイルによりますよね。(mako1629・東京・既婚・25歳)

「家事労働」って言葉についてですが、家事は立派な労働ですよね。家族が気持ちよく毎日を送るために欠かせない、重要な仕事であって、高く評価され、感謝されるべきものだと思います。ただ、いくら家事をする能力が高くても、努力をしても、評価されず、対価を得られないことは事実です。だからといって家事労働は、生産労働より低く見られることには違和感を感じます。ちなみにわが家は、共働きで保育園に通う娘が一人います。夫とわたしはキャリアも収入もほとんど変わりません。子どもがいない時は、家計も家事も完全折半でした。今も考え方は同じですが、子どものお迎えはわたしが優先ということになっています。わたしは残業をしないのですから、買い物や夕飯・お風呂の支度もわたしがしています。もちろん夫が早く帰って来れる日は、分担します。時期によっては、夫にお迎えをお願いし、わたしが残業をします。残業をした場合は、もう一方が家事を引き受ける。その代わり残業代は折半です。我が家では、「基本給×残業係数=家事分担量」、「基本給−家計+残業代=お小遣い」です(ちなみに残業係数には明確な定義はありません)。

時間による家事の分担が結果的に収入の差に(あやびのまま)

30代後半の共働き(?)の妻です。子どもが3歳までは、実家の母に見てもらっていました。そのため、主人は会社づとめ、わたしは専門学校づとめでした。実家の(わたしの)母の病気により、主人が仕事をやめ、主人が主に家事をする、わたしが稼ぐという状態になりました。その後、主人の仕事(声楽家で音楽療法をはじめた)が増えてきた今、自由業である主人のほうが相変わらず、普段の家事はメインでやっています。土日は、わたしが食事などをメインに作るなど、仕方なく時間の合うほうが家事をする状況になっています。その時間の長短が結果的に収入につながっているという状況です。

家事は生活(yomi・大阪・未婚・30歳)

「家事」の分担の不公平感は、夫婦間に多いかもしれませんが、誰かと同居する時には、必ず発生する問題です。つまり、家事は、同居生活そのもの、あるいは、家庭の中でのひとつの役割ですので、「家事労働」の考え方には納得できません。その家庭内で、「家事」という分担を、収入の多少で決めても、性別で決めても、何で決めても自由だと思います。

昨日までのみなさんの投稿を読んで

夫婦であることのメリット

家事を労働ととらえるかどうか。「労働」ではない、と考える人、「労働」だと考える人、両方いましたね。「労働ではない」ととらえる人は、家事の定義を「生活していくためにこなさなければいけない必要最低限の雑事」(エスプレッソさん)、「わたしが家事をするのは、自分が心地よく生活したいからで、誰かのためにやらなくてはならない労働だからではありません」(もーもさん)、「家事は生活の一部」(さとポンさん、そうたんさん)と、生活と切っても切れないことだととらえています。この場合、生活とは、食べたり、眠ったり、くつろいだり、といった「生きること」そのものだと言えるでしょう。

一方、「労働」だと考える人は、「家事は立派な労働ですよね。家族が気持ちよく毎日を送るために欠かせない、重要な仕事」(mako1629さん)のように、「無償だから価値が低いのでははく、大切なことだ」ととらえるために「労働」と位置づけているようです。
「労働」という言葉の定義にもよるようですが、いずれにしても、「家事は快適に生きるための自分や家族へのサービス」(uvicさん)という意見に集約されるように思います。「家族のため」だけではなく「自分や家族へのサービス」というところがポイントですね。

わたしは、昨日、「誰もが経済力をもてる時に、夫婦であることのメリットは? 」という隠しテーマがあったことをお伝えしました。その答えも、ここにあるように思います。「家事は、同居生活そのもの」(yomiさん)であって、「パートナーと一緒にやるとそこまで嫌じゃなくなりますしね。お互い得意なものを率先して」(エスプレッソさん)、「夫婦であればお互いが気持ちよく暮らしていけるように」(タヴィさん)、「二人で稼いで二人で生活して、というスタイル」(どるさん)という意見がありました。

わたし自身は、一人暮らしの時には家事をすると自分を取り戻すような感覚がありました。仕事の達成感とは違う、地に足がつくような実感です。そして、結婚して二人で家事をするようになってからは、家事を通して「ここにわたしがちゃんといるんだ」というような実感を得るようになりました。もちろん目の前の家事をめぐってケンカすることもありますが、「お、今日、布団干したんだ」「あんまり天気がいいから、干したくなったのよ。気持ちいいでしょ」とか、「夜ごはん、どうする? 」「今日は作ろうか」「じゃあ、スパゲティ」「俺も麺類の気分だったんだ」とかいったやりとりがあることで、自分と相手がいっしょに暮らしているわけがわかってくるような気がするのです。

一人で暮らすよりも、二人で暮らすほうが、楽しいらしい。収入も大切なことだけど、それ以上に、誰かといっしょに日々の生活(つまり家事ですよね)をすることは、「私」が「私」として生きていくために大切なことなのではないか。そんなふうに思います。
その時に、必要な姿勢が、「人間らしい暮らしとやらを求めるのならば、基本的には、自分自身の手で作り出されるべきです」(猫またぎさん)の指摘するような自律性なのではないでしょうか。

猫またぎさんは「家事労働分担の、もっと明確な基準を求めるべきでしょう」と書いてくれました。じつは、わたしは収入が家事分担の基準になるとは自分の経験上、思えないのだけれど、3割の人は基準になる、と考えるようですね。収入が、夫婦や家族にとって納得できて明快な基準なら、それでいいと思います。また、「できる人がやる」「じゃんけんする」「気づいた人がやる」「得意なほうがやる」それぞれに、それぞれの知恵があると思います。わが家ではすったもんだの末、「気付いた人はイコール得意な人でもあるから、気付いた人がやる。でもたまには文句も言う」というルールで、バランスラインを作っています。これは、われわれ夫婦にとっては明快な基準です。そんな基準を作りあげていくのも、いっしょに暮らすおもしろさなのではないでしょうか。

辰巳渚

辰巳渚

マーケティングプランナー

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