

「年功=経験の蓄積」のはずでは?(おしゃまなうさぎ)
どちらかに決めかねる部分もあります。しかし、年齢だけで役職つきになった無力な上司の話はよく聞きます。それを考えたら、年功序列も弊害なだけかなと思います。年功序列の大前提として、「年功=経験の蓄積」のはずだと思います。たしかに、経験がものを言う、経験が重視される意味では、年功序列でもかまわないのですが、年だけ取っているけれど、実力も経験もいまいちで、いるだけで若手のやる気をそぐような人に対しては、容赦なく、年功序列の流れから外すべきだと思います。きつく言えば、その人の分だけでも会社にとって損害なのに、周囲の負担、さらにはやる気や意欲をそぐという、何重の意味でもマイナスになるだけなのではないでしょうか。
どっちもどっち(mizuna)
年功序列はある必要はないと思います。が、一方で成果主義という名のもとで、自分が使いたくない人間を意図的に外すというような悪用があるのも事実かな、と思います。会社で、とあるポジションが空席になり、そのポジションに周囲(役員から前任者、部下まで)がわたしを推したのですが、そのポジションの上位にあたる人間が強硬に反対しました。
背景としては、彼の部下だった1カ月間に彼の案に強硬に反対したこと、彼よりも10歳近く年上で経験年数も大幅に上回ること(その上司はアメリカ本社から来た米人です)なのですが、結局その上司がわたしのことを能力がないといって退けました。そういう事例は社内で多発しており、人事部長もあまりのひどさに頭を抱えている、とのことです。成果主義って結局は権力をもつ人のご都合主義ね、というのが感想です。年功序列もどうかと思いますが、成果主義もお寒いものがあるのが現状ですね。
中間管理職が増えるばかり(sfummy)
今の日本では、年功序列で仕事をしていられないと思います。少子化が進んでいる日本で、年配が増えていく日本で、年功序列を続けたら、中間管理職が増えるばかりだと思うのですが……。
今、価値観の過渡期(sugerfree)
長年働いているほうが経験もあり、能力もあるという考えは、理解できる。ただ、実際「できない人間」が、多いとも思う。年功序列の問題は、理想と現実のギャップの問題でもあると思う。なぜ「できない」と思われる人間が多いと感じられるのかは、日本の教育にも一因があると思う。「自分で考える」ことを教育してこなかったために、将来を見据え、自分は今どのような行動をとったらいいのか(自己啓発など)、自分の考えを理解してもらうためにはどう表現したらいいのか(論理的思考、ディベートなど)、というスキルが足りないのではないか、と思う。現在は、古い価値観と新しい価値観の過渡期なんだと思う。
成果主義報酬制度には減俸もある(サオリパイン)
わたしの会社では次年度から「成果主義報酬制度」を取り入れることになりました。プロスポーツ選手の年俸制に近いものです。年功序列に比べるとたしかに厳しい制度かもしれないですが、うちは経験者だけで集まって作った若い会社なのでもともと年功序列ではなかったのです。それぞれのキャリア・売上に応じた給与体制だったので、今のところそれほど抵抗もありません。最大の違いは減俸もあり得るということです。
きちんとした基準と公平な評価(まりい)
以前、外資系企業でアルバイトしていました。半年に一度、マネジャーが個人面談時に査定を公開するシステムでした。査定は、業務に関するすべての項目にきちんとした基準が設けられ、公平な目でジャッジされており、異議申し立てができるシステムでした。それがうまく機能していたかどうかはよく知りませんが、仕事の目標も立てやすく、自分の弱み・強みがよくわかりました。やる気次第で、バイトでも正社員になれる会社でしたから、仕事も楽しくできました。成果主義は、たしかに全面的に支持しかねる部分もありますが、上手に取り入れると、モチベーションアップにつながると思います。
年功序列配分を(ろくはる)
昨年、わたしの勤務先でリストラが行われました。40代以上の社員は全員給料を半分にカットされたのです。驚くべきことだと思いますが、半分にされた給料の平均額はわたしたち30代の給料を少し減らした程度という現実なのです。典型的な年功序列型の会社なのだと思います。わたしなどからすればそれだけの給与があれば、生活にはそれほど困らないと思うのですが、実際には仕事の士気に影響してきております。あれだけもらっていたものがもらえなくなる、だったら無理してまで働こうとは思わない、という意見が多いようです。
人には能力の違いがありますから、能力主義だけでは人生設計を組めないということもあり得るでしょう。そう考えれば年功序列はある程度必要だと思いますが、それだけで昇給をしてゆくと、こんなことになるのです。バランスの問題なのだと思います。
わたし自身は仕事ができるほうだとは思いません。ただ、人より時間をかけて、なんとかこなしているのだ、と思っております。もしも、わたしがどれだけ頑張ってもほかの社員よりも低い成果しか上げられなかったとして、会社が能力主義、成果主義であった場合、わたしは一番低い賃金で働くことになるわけです。能力主義・成果主義の会社は必ずこういう社員がいることになるのですよね。自分がその立場になったと考えれば、ここをターゲットにして給与の中の年功序列配分を決定してほしいと思うのは、わがままなのでしょうか。

NOの理由は3つ(隆)
年功序例はなくて当然だと思わない理由の1つは、それは産業の性格によると考えるからです。第一次、第二次産業では、経験知の重要性がサービス産業よりも高いと思われ、その意味で「数字になる」成果を上げない社員も、潜在的な技術を体内に蓄積しているので、その部分を報酬の対象とすれば、年功序列に自然となります。
2つ目は、「能力主義」と「年功序列」は両立可能だと思うからです。つまり、基本給を「年功序列型」にして「成果報酬」を弾力的にすれば、総額としては若年社員も実質の手取りは能力に応じて高くなるからです。定義によっては、これは「年功序列ではない」ともいえますが。
3つ目の理由は、「年功序列、終身雇用」の破棄を盾に、自分の経営能力を棚に上げて「合理化」に走る企業経営陣の姿勢を助長すると思うからです。社員を「道具」として扱うことは、長期的には企業のパフォーマンスに悪影響を与えるだけでなく、結果的には経済の縮小均衡を招く一因であると思います。年功序列と終身雇用はセットで語られることが多いようですが、終身雇用については、特に必要はないし、それにこだわることは、企業にとっても個人にとっても、必ずしもプラスではないと思います。
言葉のイメージが一人歩き(A6M2・愛知・既婚・46歳)
言葉どおりの年功序列というものは、従来からないと思います。正確には、長期雇用を期待して、習熟度に見合った賃金を支払う制度がある、というべきだと思います。成果主義がベターなように言われていますが、評価基準を事前に明確化し、問題があればプロスポーツ選手のように交渉することが、本当に可能でしょうか。無条件に習熟度を認める、いわゆる定期昇給のような制度はいかがなものかと思いますが、成果主義と言われている制度には、チームワークとか、企業風土に応じた仕事の進め方、企業理念への共感といった、日本企業の強みを忘れているような感じがしてなりません。
わたしの勤務先も、成果主義的要素(特に賞与の場合)を取り入れていますが、極端な差が付く制度ではありません。成果主義と年功序列は、言葉のイメージが一人歩きしているのではないでしょうか。要は、当該会社を活性化させる賃金体系をどうやって組み立てるかということですから、極端な成果主義も年功序列も、弊害が大きいと思います。その会社の企業風土、収益力、事業計画、職種等を無視して、一般論で議論することにも無理があるという感じがします。誤解を恐れずに言えば、成果主義か否かが問題になるような会社ほど、マネジメントに大きな欠陥があると思います。なぜ成果が出ないのか。そこを分析せずに、給与体系だけで結果が得られるとは思えません。
気に入られることが「成果」なのか(ururu・東京・パートナー有・30歳)
会社の方針がコロコロ変わるので、成果を上げるかどうかより、お気に入りでいられるかどうかで決まっているような気がします。頑張っても気に入られなくて、正しく評価されないなら、年功序列でいいです。経験が評価されて、それなりのポストに就けるほうがいい。それに人の評価を全部否定するのも、成果主義なら可能なわけで、つまるところ人件費カットの言い訳では、という気もします。
体験を上手に活かせない人(ももももももこ)
年功序列はなくて当然だとは思いません。キャリアを積むことによって体感できる職種も多いと思うので、一概に年功序列に反対はできない。しかし体験してきたことを上手く仕事に活かせていない人がいるのも事実だと思う。
それなりの年齢に達しないと立てない境地も(ぴんぽんぱん・東京・未婚・39歳)
「継続は力なり」という言葉を最近身にしみて感じるようになりました。日本的な経営を否定的にとらえる論調はよくみられますが、ものづくり、研究開発など、「匠の世界」から技術や価値をつかんでいく分野には、年功序列という価値観にも一日の長があるようにも思えます。ハイレベルな価値は、徹底したコミュニケーションからも生まれるとも思います。能力主義の人事に移行していく企業も多いのですが、自分のことばかり考え、人を育てる余裕を忘れてしまってはと、危惧することもしばしばです。
「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る……」と論語にもありますように、それなりの年齢に達しないと立てない境地もあるでしょう。ヒューマンスキルや仕事のキャリアのバックボーンなどを、考えた上で、人員配置やマネジメントをしなければいけないということに気付く人は、今後また増えてくるだろうという見方をわたし自身はしております。投稿したなるようなテーマに感謝いたします。
経験を無視することにつながる(あるばーと・神奈川・既婚・36歳)
年功序列がいいとは考えていません。しかし、なぜ年功序列というシステムが存在しているのかという要因と目的をよく考えてから検討すべきだと考えます。経営側が雇用者側を評価するという側面から、その職場での経験を尺度にしているケース、もしくは職場における雇用者の心理ケアを目的としているケースなどが考えられます。前者であれば新卒採用を前提とすれば当然、年功序列的な要素は多少なりとも存在するでしょうし、後者は最近ないがしろにされがちな「年長者を敬う」姿勢をシステムとして組み入れているものといえるでしょう。
そもそも、こうした年功序列のシステムは年齢を積み重ねることによって経験も積み重ねられていき、業務技術すなわち生産性が向上していった製造業のスタイルに起因していると思います。こうした旧来のスタイルを現在のホワイトカラー職場にそのまま導入したら弊害が出てしまうのは当然かもしれません。しかし変化に対応し、今、そしてこれから必要な技術を常に学んでいくことは、誰であれ大変な努力が必要です。安易に年功序列は悪であると否定することは、経験を無視することにもつながり、有形無形を問わず、ものづくりをしなければ生活していけない日本にとっては大きな損失につながる可能性があることを忘れてはいけないと思います。

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