

会社でのポジションが難しい(Chikako-H)
11年勤めた会社を辞め、他の会社も経験したいと思い、派遣になって3年半。貿易事務なので、その経験は豊富でたいていのことには難なく対処できたとしても、その会社の経理上のシステムになかなかなじめず、苦労しています。社員の時の自分だったら、こんなことは絶対指摘されなかったのに……ということを指摘され、なかなか素直に聞けない自分がいます。仕事よりも、その会社でのポジションが難しいと思います。
厳しい指導と叱責を受け(まりい・大阪・既婚・38歳)
再就職は4年前、外資系アパレルでした。ブランクは7年ありました。身分はパートでした。デパートの中に入っているお店でしたから、元デパート正社員のわたしとしては、抵抗はなかったのですが、その店独自のさまざまなルールを覚えるのに時間がかかりました。自分より10歳くらい若い同僚ばかりの中でなじめるのかが不安でした。店長は同じ年のやり手の女性で、厳しい指導を受けました。感情的な叱責もあり、めげましたが、デパート時代の同期に相談したところ、「もっと割り切らないと」と励まされ、「叱責は、わたしだけに向けられたものではない、役割として言われているのだ」と思うようにしました。
小さなメモをいつも持ち歩き、言われたことは休み時間にまとめてメモをつけました。他のショップを休みの日に見学し、ベビー服だったので、育児雑誌や子どものファッション雑誌を講読する、あと自分の見た目も、そこのお店に応じたものにするため、ファッションとコスメにはかなり費やした記憶があります。
そうしていると、個人の売り上げも伸びました。何度か表彰されたり、3カ月でパートのまとめ役までさせていただけました。その後、さまざま事情で退職、現在は市で子育て支援を非常勤職としてやってますが、あの半年のハードな「さび落とし」経験はとても役に立っています。
将来の起業のため(sagi・カリフォルニア・既婚・59歳)
結婚する前はバイリンガル秘書をしていました。その後、結婚で米国東部へ。まず子育て(3人)を個人の基本人格形成期間の3歳まで家にいてやろうと考えました。末っ子が1歳になるまで、時々家族(義理の母)にべビーシッターになってもらって出掛けて行きましたが、自宅でできる翻訳、数が少なく子どもたちが寝静まった夜にできる翻訳が中心でした。知識を広めアップデートし、将来独立して事業する目的のために地元の短大に通い主人の理解もあって、子育て、パートタイムの自宅での仕事、短大卒業にこぎ着けたのが38歳だと記憶しています。子どもと主人が一緒に出席しての卒業式でした。
その後、末っ子が5歳になるころ、通訳翻訳業の自分会社をを設立ました。当会社が本年20周年を祝います。また、最新の情報を入れるため、ワークショップやクラス、いろいろなタウンミーティング、テープなどを利用しております。つぎはマーケティングを勉強し、東西のよりよい理解に貢献したいと思っています。

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