
ペットロス以上に、共に生活できる喜びが(クーティー・神奈川・パートナー有・34歳)
子供の頃から鳥や犬を飼っていました。現在も2羽のオカメインコと暮らしていますが、癒されるだけでなく世話をすることで、うまく愛情の分散ができているように思います。大人になってから、彼ができると愛情を注ぎすぎてしまうことがありましたが、伴侶動物を得たことによってうまくバランスが保てるようになったと感じています。「ペットロス」の経験はつらいですが、それ以上に一緒に生活できる喜びがあるように思えます。
「ペットロス」論(しろりむ・三重・パートナー無・36歳)
「ペットロスになるほどペットに過剰な思いを抱くのは問題である」といわれることがあります。どうなのかなあ? 「親が死んだら悲しいから親のことを思うのはやめよう」とか「夫がいなくなることを想像すると怖いので、夫への過剰なコミットメントは避けよう」とは普通思わないのでは? 伴侶動物としてのペットを飼っている場合も同じだと思うのです。思いっきり愛して、思いっきり関わって、そして関係が終わるときは思いっきり悲しむというのもアリなのでは? ペットに依存するのは、確かによくないのかもしれないけれど、依存するくらいの深い精神的な関わり合いを持てるのは、この世を渡っていく際の大きな恵みだとも思うのです。
両親はいまだにペットロス(sedona・千葉・パートナー有・36歳)
3歳になるノルウェイジャン・フォレスト・キャットと暮らしています。彼女はわたしにとって、かわいい妹。でも彼女から見たわたしは体のいい召使(笑)。表情も感受性も豊かでいっしょにいて疲れない、良いパートナーです。実家にも17歳になるMixの猫がいましたが、去年亡くなり、両親はいまだにペットロス。「たかが猫」なのですが、かけがえのない家族であることはどの家庭でも間違いないです。
お別れの時、「彼女」はどう思ったのだろう(みらくるみるく)
高校生のとき、生涯忘れることがない「伴侶動物」に出会いました。上京した際にも連れてきて二人暮しをしました。一緒だったから、つらいこと、悲しいこと、なんとかやり過ごしてこれたのだと思います。寿命が近づいてきて、もうすぐわたしのそばを離れていくんだと思うと、彼女を抱きながら、涙が止まりませんでした。お別れの時も。人間よりずっと短い一生、生後40日ぐらいからずーっと一緒にいて、「伴侶動物」たちは、飼い主との生活しか知りません。だからこそ精一杯の愛情を注がなければならないと、彼女に教えられました。別れはすごくつらかったし、今でも涙が出てくるけれど、たった一つの救いは、別れの時、彼女に「あなたと一緒に過ごせてよかった」と思ってもらえたのではないかということです。