
軽い不登校でしたが、社会に適応しています(ホットレモネード・愛知・パートナー有)
どっちかな〜。私も実は軽い不登校でした。毎週というわけではありませんが、月曜日から登校してて、木曜日くらいに行けなくなり、また金曜から出ていく生徒でした。当時、土曜日も学校はありましたが、私は自主的に週休2日を実践してたわけです。どうしてそうなってしまったのか、よくわかりません。ただ、ひどく疲れていたように思います。多分軽い不適応だったのだと思います。
ただ、いまちゃんと仕事をして、社会にそれなりに受け入れてもらってるという点で、社会適応はできていると思うのです。確かに学校に適応できないことは残念だし、共通の話題を共有できない寂しさはあります。忘れてならないのは学校は1つの閉じた社会であって、世の中には別のいろいろな社会があるということ。学校社会だけが世界ではないのです。確かに、どんな社会でもそれなりに適応していけるのが理想かもしれません。でも、世の中そんなに器用な人ばかりではない、と信じて、間違いないと思います。
自分をしっかり持っている子なのでは?(MICO・福岡・パートナー有・25歳)
違うと思います。むしろ、不登校している子の方が人間らしく、自分をしっかり持っている子なのではないかと思います。一概には言えませんが……。私はどちらかというと、世間一般的にいう「当り障りなく」育った子で、社会人になったいま、自分の意見や主張を通しきれない性格に、いら立ちを覚えます。いままで「いい子」できていた性格が、この年になってマイナスの方向に出てきたかなと感じています。
また、私のいまの彼は、不登校から高校を中退してしまっていますが、落ちこぼれではなく、むしろ私よりも賢いです。そして、私の知らないことをいろいろと教えてくれます。彼のような人を見ていると、不登校=落ちこぼれではなく、その子にとって、たまたま学校に魅力がなかったのではないかと思います。
不登校の息子を見ると、そうは思えない(affetto・愛知・パートナー有・45歳)
3番目の息子が、去年の6月から、中学に行けなくなりました。すぐに市の適応指導教室に、本人の希望で入りました。最初はかなり戸惑っていたようですが、毎日楽しく通っています。学習時間は圧倒的に少ないですが、そこで学んだことは多かったようです。人との付き合い方、友だちとの調和、病気を持つ友だちに対する気使い、イベントの盛り上げ方……、たくさんのことを学んだようです。パソコンの使い方などは、私よりも詳しくなりました。
落ちこぼれと受け取る人も多いかもしれませんが、私は彼を見ていて、とてもそうは思えません。
勉強ができなくて……というケースはまれ(光阿弥・岩手・パートナー有・41歳)
盛岡にて、若年者向け就職支援業務に携わっているものです。私の時代には(25年くらい前?)、勉強がわからなくなってきて学校に行かなくなる仲間もおりました。そんな彼らを、学校の勉強のできる、できないで区別すると、落ちこぼれ? いやいや、授業が嫌でつまらなくなった! ということで、勉強自体ができないわけでは……。
そのことはともかく、こんな仕事をしていますので、若者の気持ちがほんのちょっとだけ理解できます。やはり不登校生=落ちこぼれではないような。不登校の多くの場合、先生、友達などの学校と、両親、兄弟などの家庭の、いずれかが関係している。つまりは本人の意思のみではなく、外的要因によるものであり、落ちこぼれたため不登校になるケースは、極めて少ないのではと思います。