
私自身は理解できないのですが……(ゆきにゃ・愛知・パートナー有・30歳)
国際化が進む中で、やはり英語をはじめとした外国語を話せるというのは、相手のことを知るためには非常に重要だと思います。私はなかなか覚えられず苦労をし、結局外国語はほとんど理解できませんが。
でもその前に、自分たちの言語をもっと見直して使いこなすことが大事だとも思います。自分に尊敬語を使うアナウンサーの言葉などを聞いていると、日本語って大丈夫かなあって思ってしまいます。
使う言葉で性格が変わる?!(yoshioyabara・ドイツ・パートナー有・57歳)
使う言葉で自分の性格が変わる? と言えば、少し大袈裟だし誤解を受けそうだが、特定の言語の持つ音楽性やその文法に支配される表現の組み立て方が、その言語を使う個人の心理に及ぼす影響、これが存外大きいことに気が付いたのは、3言語以上で生活するようになってからのことだ。私の場合、英語だと、ひょうきんで軽やかな自分の一面を新たに自覚することが多いし、独語では、ばしばしと決め付けてゆく自分に気が付いて驚いたり、日本語においては、回りくどさにとらわれている自分に苦笑いをすることが多かったりと……。多言語が置かれているいろいろな社会性と文化性を摘み取って生まれる多言語人格は、その個人の色合いを多色化? するらしい。少しカメレオン的冒険をしていることがよくあって、それを楽しんだり苦しんだりしている。
日本語を軸に学んでいける環境を(ヒロニ・アメリカ・パートナー有・30歳)
世界を広げるには、やはり日本語以外の言葉を話せた方がいいと思います。ただ、やはり日本語をまずはきちんと学ぶことが第一だと思います。私は日本で生まれ、育ちましたが、英語に親しむ環境があったので、嫌悪感のようなものが出てくることはありませんでした。アメリカの大学に行き、働き、永住を決めたいまは、半バイリンガルになりましたが、日ごろ使わない日本語の方がだんだん怪しくなってきました。小さいころから多言語環境にいる人たちは、あまりそのようなことがないようにみえますが、それでも言葉の質の維持をするのはかなりの努力が必要だと思います。日本語は、世界の中でもかなり特殊な言語だと思います。産まれたときからそれに関わる環境にある私たちは、ある意味で幸運だったのではないでしょうか。この言語を軸に、ほかの言葉も学んでいける環境があったら、とてもすばらしいと思います。
聞いたり話したりする機会が増えれば(ちょこばなな・東京・31歳)
数年前、英語+ほかの外国語を当たり前に使う同僚たちに囲まれて仕事をしていたときには、大学で第2外国語をもっとまじめに勉強しておくんだったと痛感しました。英語以外の外国語を聞いたり話したりする環境としてはケーブルテレビやスクールなどがありますが、普段圧倒的に接する量が少ないので、もっとそうした環境が整うといいと思います。それも、適当な日常会話ができる程度が学べるレベルと、その言語で仕事や高度な会話ができるよう学べるレベル、両方の環境があれば最高です。
しかし、日本語の美しさを理解するだけでも長い道のりでため息が出そうなのに、生きている間に外国語がいったいいくつ身につくか……。とりあえずは英語だけでもと、米国人の友達が辛抱強いのをいいことに日々頼って教わっています。
外国語を学んで目からうろこ。視野が広がる(Bise・東京・パートナー無・38歳)
絶対に必要だと思います。日本は英語は義務教育ですが、ほかの国の言語は必修ではありません。私は大学でたまたまフランス語を専攻したのですが、初めて英語圏以外の文化に触れて、目からうろこの衝撃を受け、視野が一気に広がったように感じました。言語を学ぶことは、文化や物の考え方も学ぶことになるので、各国のマザーランゲージを学ぶことは非常にいいことだと思います。最近スイス人の友人が日本語を学び始め、クリスマスに日本語のメッセージの入ったカードを送ってくれました。2人の通常のコミュニケーションツールである英語では感じ取れなかった彼女の温かい気持ちがひしひしと伝わってきて、大感激でした。

「英語屋さん」では通用しない(delmar・千葉・パートナー有・34歳)
英語がぺらぺらでも、漢字も書けない、日本の歴史も知らない根なし草では意味がないのです。グローバリゼーションが進む世の中で一番大事なのは、自分がどこの国籍、バックグラウンド、何人であるかです。自分の国に誇りを持ち、自分の国の歴史や文化、代表的な宗教ぐらい説明できるようになったら英語を勉強して世界中に友人を作り、ビジネスを広げて下さい。自分の国のこともよく知らない英語屋さんは、ビジネスの世界でも通用しませんし、信用されません。
文化、歴史的背景を持たない言葉は軽薄(Lammy・東京・パートナー有・33歳)
私は父が英語、母が日本語を母語とするため二ヶ国語で育てられたバイリンガルです。英語は父の祖国の文化を、日本語は母の祖国の文化を継承するために必要なツールですから、多言語で育てられたことに違和感はありません。しかし、文化的背景を持たない方々が、多言語で子供を育成する必要性がわかりません。両親の母語でしっかりとした精神面のケアをしていれば、一定の年齢に達したときに子どもが学びたいといえば別言語を学ぶ機会を提供すればよいのではないでしょうか。文化的、歴史的背景を持たない言葉による会話は上辺に終始し、軽薄なものだと感じています。
学習者自身の積極性が重要(ドクトル・シマコ・京都・パートナー無・24歳)
多言語「学習」には賛成できますが、多言語「教育」となると受動的なイメージがつきまといます。また、自分の子どもに英語以外の外国語を学ぶように積極的に働きかけることはしないと思います。私自身、大学のカリキュラムに沿ってフランス語を第2外国語として履修しましたが、あとで旅行のために自分で勉強したチェコ語、ポーランド語、ロシア語のほうが、はるかにのみ込みが速かったことをよく覚えています。多言語教育に学習者が積極的にかかわるかどうかがキーになるのではないでしょうか。