

早くに親離れをしたつもりだったけれど(vitz・東京・38歳)
難しさ、非常に感じています。子どものころから、「親に頼らずに生きていけるようになりなさい」とことあるごとに言われ、かなり早い段階で親離れをしたつもりでした。特に母はあまり干渉もせず、就職、転職、結婚などすべて事後報告。「便りのないのは元気な証拠」と、それでいいものと思っていました。しかし、最近になってこれまで母が言っていたことは母の理想であって、本当はベタベタと頼ってほしかったことが判明。先日は、「冷たい娘」と言われ、泣かれてしまいました。わたしの理想は、親には精神的・経済的には頼らず、かつ日常的に思いを馳せ、折に触れその気持ちを表現すること……やっぱり難しいです。
心配をかけないこと、喜びを与えること(mamarin)
親離れについてはできていると思います。それは経済的に面倒をかけず自立しているからです。距離が離れているということもありますが、子育てでも、最近は親に頼ることもなく、両親はそれぞれ自分のやりたいことをやって暮らしています。自分も親になってつくづく思うのですが、親孝行というのは温泉旅行に連れて行ってあげたり肩を叩いてあげたりすることではなくて、心配をかけないことが第一だと思います。そしてそれは子ども自身が健康で健全な社会生活を送り、自分の人生を歩んで行くことではないかと。
そして第ニに、喜びを与えてあげること。それは子どもの成功でもいいし、孫の誕生でもいいし、親の功績を認めてあげるのもいいし、親の第ニ、第三の人生を手助けしてあげるのもいいと思います。こう考えたのは、最近実の母が60歳を過ぎて見つけたライフワークに、わたしが資料の翻訳などで、大学の助教授の妹が論文や本の書き方などのアドバイスをして手伝っており、母がとても生き生きしているのを目の当たりにしているからです。こんなお母さんはすてきだな、とわたしたちが感じ、それを素直に伝えてあげるのも最大の親孝行だと思いました。
わが身を振り返りながら子育て中(kaho)
一人っ子で過保護、過干渉ぎみに育ったわたしは、早く親から離れたかったのです。しかしながら、結婚し親元を離れると、しばらくはホームシックにかかっていました。精神的にも自立できたと認識したのは、自分が親になり、子育てにもある程度の自信がでてきたころです。まだまだ手のかかる年齢の子どもたちですので、経済的にも、形になる親孝行はできていません。わたしの両親にとっては、孫とわたしが元気で楽しい日々を過ごし、ときには会いに行く時間がある平穏こそが、幸せであるようです。
わたし自身、干渉されることを疎ましいと特に意識しだしたのは高校生ぐらいでした。ですから、当時の自分を振り返りながらの子育て中です。現在子どもは小学校低学年。過保護にならないように、けれどまだ目の離せない年齢です。しつけも必要でしょうし、ある程度の干渉も必要です。親に甘えたい部分と、自我が芽生え、親から離れたいという部分が見え隠れし、深夜寝顔を見ると、これでいいのか?と自問自答しています。世の中には育児書が溢れ、さまざまな意見がありますが、明確なラインを持たないこういった問題は、各々の家庭環境と、個々の性格があることを忘れず、自分なりの基準を見つけていかなくては、と思います。

つい世話をやいてしまう(エミりん)
娘が去年、大学生になり、それを機に「自分のことは自分で責任を持って行動しなさい! 」と、親離れを宣言したものの、とあるごとに決断を相談してくる娘。「自分で決断しろ! 」と思いつつも相談にのってしまうわたし。「今日は遅くなる?」「どこに行くの?」と、聞いてしまうわたし。これでは、全然「親離れ」させてないですよね。
どこまで手助けしていいのやら(里穂・中部・37歳)
「親離れ」、難しい言葉です。10年間一人暮らしをして体調を壊し、両親と一緒に住むことになりました。一緒にいるとなかなか「親離れ」というのは難しく思えます。親子の関係は永遠に続くものですが、どこまで手助けしていいのかわかりません。これから年老いていく両親と、小さなことから決めごとを作り、変な干渉をしないでいきたいと思っています。

企業・官公庁がewomanリーダーズの声を求めています。一人ひとりの声をカタチにして、企業・官公庁に伝える。それがイー・ウーマンとewomanリーダーズの活動です。ぜひ登録を!
詳細と登録

現在進行中のテーマはこれ! 今すぐご参加を!