

「過保護」と「過干渉」は違う(夢追人・千葉・既婚・40歳)
子どもベッタリの親になりたくはない。なるべく子ども扱いしないで対等に話のできる親子でありたい……そう思って子育てしてきました。でも昨年、中学生の息子が不登校になり、過保護くらいでよかったのではないかと反省しています。「過干渉」と「過保護」は違うのですよね。幸い良い友人に恵まれて、1学期間の不登校の後、元気に登校できるようになりましたが、対等であろうとするあまりに、親として頼ってもらえることもなくなってしまっていたのでは、と反省しています。
心配かけても、きちんと付き合おう(ベンジー・東京・37歳)
10代、20代のさまざまな葛藤を経て、30代も半ばを過ぎてようやく親離れできたような気がします。自分の場合、現在まで健康面で親に心配をかけることが多かったため、なかなかお互い安心して「親離れ」「子離れ」をするのが難しかったという事情がありました。しかし、わたしの結婚を境に両親と(とくに母と)良い距離がとれるようになりました。母とは以前うまくいかない時期もありましたが、今ではその分、母のことがよくわかるようになった気がします。親子とも精神的な自立は特に難しいものですが、お互いのことを理解してきちんと付き合っていくことが大事だと思います。
大事に思うようになったのは親離れしてから(tomotomoz)
過保護はいけないと思う。順番では親が先にいなくなるんだし、子どもが一人でも考え行動し、強く生きていくことのできる術を親が教えるべきでは? わたしは過保護に育てられ、しかも何かと干渉され親を疎ましく思ったこともあった。でも結婚してからは精神的にも金銭的にも驚くほど親離れできたと思う。すでに母親を亡くしている夫に「親がいてくれる間しか孝行できないぞ、後悔するぞ」と言われたことがすごくわかるようになった。親離れしてからのほうが親や家族をとても大事に思うようになった。
甘えるのも親孝行(りえぴょん)
進学のために親元を離れて以来、親とは10年以上別居しています。表面的には「親離れ」しているとは思います。月並みかもしれませんが親元を離れると「親のありがたみ」というのがよくわかりました。でも、精神的にはいまだに親離れできてないのかもしれません。父を早くに亡くしてしまったので、あまり甘えることがなかったからかもしれません。ご近所の方は近くにご両親が住んでいらっしゃるので、よく行き来しているようですが、それを見るとすごくうらましくなります。ご両親が元気なうちは、甘えられるなら甘えてあげるのも親孝行の一つなのではないかと思います。

無理してしなくてもよいのでは?(イクラ・東京・独身)
わたしは、はっきり言って時期を逃してしまいました。結婚の機会も無く、あれよあれよという間に40歳。親も年老いてしまったので「親離れ」はこれからでは無理ですね。一人っ子プラス厳しい経済状況なので、お互いに頼っています。でも、「親離れ」って無理してでもしなくてはいけないものでしょうか? 世間では格好悪い未熟者みたいな印象にとらえらえがちで少し肩身が狭いのですが、親があっての今の自分ですから、自然に頼り頼られることはいいと思っています。ベッタリでは困りますが、いざという時の覚悟さえあれば、拒絶してまでも「親離れ」しなくてよいのではないでしょうか?

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