

大人のケンカ(=議論)ができる人は少ない(kuniwaka2001・神奈川・既婚・31歳)
わたしたち日本の文化は「和」を尊ぶ文化だとよくいわれます。それは多くの企業文化にもなっていると思います。さすがにこの不況となると、「和」よりも「売上」だろうと思いますが、事実、わたしの勤める会社では「売上」よりも「和」が尊ばれています。
以前、プロジェクトで社外の方と組んで仕事をしたことがありました。その方は「活発な議論を行って、よい方向にもっていきましょう!」とおっしゃっていたものの、結局のところ、小学生のようなただのケンカになりがちでした。その方は感情をうまくコントロールできなくて、すぐ大きな声を出されていました。
このように、子どものケンカはできても、大人のケンカ(=議論)ができる人は非常に少ないと思います。また、わたしたちは学校や職場で議論の仕方を学んできていません。訓練次第でなんとかなると思うのですが、男女を問わず、どうも感情から入る人が多すぎる気がします。
ケンカの後の仲直りの方法を身に付けたい(melissa)
弘中さんのおっしゃるように、「双方が意見を主張するケンカ」を大切にしたいと思っています。相手と意見を戦わせることは膨大なエネルギーが必要ですが、おっくうに思わずにいたいものです。
日ごろ、残念に思っていることは、「ケンカをする前より親しくなることの難しさ」です。ケンカ(屈託のない意見交換)をすることで、お互いに人間的成長は得られるものの、二人の人間関係に溝ができてしまうことが残念でなりません。ケンカの後に、もっとすてきな関係になれる仲直り方法も身に付けたいです。
ケンカというより議論をよくする(nanachann)
たとえ夫婦であれ、相手の人格まで傷つけるようなケンカは好ましくないと思います。仕事上では、ケンカというより議論をよくします。もちろん、上司とも。その時には、あくまでも仕事、今手にしている資料の内容についての検討している、ということを常々頭から離さないように心掛けています。議論の相手は、人ではない。
きちんと相手と向き合った結果のケンカならば(ぐりこ)
お互いが自分の考えを持ち、それを主張し合うことはとても大切だと思います。傷ついたり、辛い思いをしたりすることもあるでしょうが、他人を理解し、自分を成長させることにつながると思います。
このごろは、相手が少しでも自分の考えと違うと、かかわりを持つことを避けてしまったり、もしくは一方的な人格攻撃をしたりする人が多いように思います。逃げずにきちんと相手と向き合った結果のケンカならば、けっして悪いことではないと思います。
小さいころはケンカしなかったが(ururu・東京・30歳)
小さいころ、なかなか友だちができなかったので、ケンカは絶対しないようにしてきましたが、今のパートナーとは、10年間付き合ってきて、ケンカもよくしています。それでも付き合っているのは、同棲しているというのもありますが、ケンカした分、お互いをまた理解したからだと思います。
意見の出し合いを避ける相手とは、いつまでも視点が合わない(miechan)
会議のたびに意見がぶつかってばかりの同僚がいました。ほかの人たちが、意見を言えないくらいのバトルもしばしば……。さすがに、今では反省しています。周囲が意見を挟めない状態にまでしてしまったので。ただ、そのころ、彼とは、よく夜中まで意見を出し合いながら、相談もしていました。今では、ようやくお互いの見るべき方向が理解できつつあるので、スムーズになってきています。
逆に、意見の出し合いを避ける相手とは、いつまでも視点が合わないし、ムダ話をしても何も感ずるものがありませんね。そういう方とは、縁がなかったということで、最低限の妥協で済ませます。その分、バトルを続けた方へは、できる限りの協力をしています。

感情的なケンカになる前にいったん距離を置く(ReeRee・千葉・独身・38歳)
家族とはそれなりによくケンカしますが、お互い遠慮のないストレス発散のようなもので、後を引くことはありません。が、他人とのケンカは苦手です。意見が違う相手に無理に合わせることもしませんが、ケンカとなるとこちらに後悔や苦手意識が残ってしまい、なかなか自然な関係に戻ることが難しいのです。わたし自身は、感情的なケンカになる前にいったん距離を置くようにしています。
大人のケンカは覚悟が必要(南平台)
日本語って本当にあいまいですよね。対立、勝敗、自己主張、憎しみなど理由はさまざまあるのに、ケンカという言葉で乱暴なコミュニケーションというニュアンスになってしまう。大人になってのケンカは、関係修復不能を覚悟してやらなければ、ただのはた迷惑です。
幼時のころは、ケンカも情操教育の一つだったのではないかなと思います。ただ、周囲の介入の仕方に問題があることのほうが多いように思います。当事者のケンカに自己利益をかぶせた、侵入的な加勢が主流になっています。
議論は必要だが、ケンカは必要ない(はるたいママ)
議論は必要でしょうが、何もケンカをすることはないと思います。ケンカというと、どうしてもお互い感情的になりやすく、言わないでいいことまで言ってしまったり、伝えたいことが逆に伝わらずに曲解されたり、あまり効果的とは思えません。ただでさえ、ストレスの多い社会で暮らしているのですから、これ以上余計なストレスは抱えたくありません。
同じことを言うのでも、ケンカ口調で言うのと、相手を思いやってお願いするのとでは、相手の反応も変わってくるはずです。ケンカを売るのが好きな人はいるかもしれませんが、たいていはケンカが好きという人は少ないはずです。感情にまかせて言いたいことをいうことが、建設的な関係を生み出すとは思えません。
ケンカする必要がない時もある(aim↑)
「何むきになってるの」「そんなに頭から湯気を出さなくても」「誰でもかれでもかみ付くな」とよく言われます。でも、わたしとしてはケンカを売っているわけじゃなく、わかり合いたいだけなのです。
先日、友だち3人の中での一人の意見にわたしともう一人が反対でした。「わたしはこう思う」「その結果どうするの?」と彼と意見をぶつけ合うわたしと、「そんなのわたしは嫌、ま、自分の好きなようにしたら」とトイレに立つ彼女。結局わたしとは物別れ状態、彼女には後で言いすぎた……と謝ったそうです。ケンカに入らなかった彼女がとても大人に見え、ケンカする必要がない時もあるということを感じました。

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