やっぱり来ない? 二大政党の時代
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年7月26日
今週は永田町が何かとにぎやかでした。あの辻元さんが逮捕されたのも、総選挙が絡んでいろいろ取り沙汰されましたが、週半ばには何と自由党と民主党が「合併」することになったのです。やはり選挙となると、議員先生は一段とハッスルせざるをえません。職業政治家は、「選挙に落ちればただの人」ですから、落選すると次の選挙まで臥薪嘗胆というか、極めて厳しい思いをするようです。
小沢一郎の危機意識
自由党と民主党の合併話は一度流れたはずなのに、なぜここで息を吹き返してきたのでしょうか。おそらくは、自由党にいちばん危機感があったのでしょう。ジリジリと党勢は弱体化しているし、小沢党首も一時の豪腕ぶりは薄れている。ここで何とかしなければ「野たれ死に」してしまう、と思ったのかもしれません。
もちろん合併の大義名分はあります。それは「政権交代」です。要するに、自民党に対抗して政権を取れる政党を作らなければ、日本の政治の改革はできないという議論です。それはそうかもしれません。でも、自民党政権は、なぜ延々と続くのでしょうか。対抗するだけの政党がないからなのか、自民党という政党に多くの有権者が満足しているからなのか、国民は政治の変化など望んでいないのか、それとも他の理由があるのか。これはどうも大きな謎なのです。
民主党の基盤
政党の側から言えば、とにかく国民の不満の受け皿が必要ということでしょうが、果たしてこの「自由+民主党」がその受け皿になるのかどうかは、これまた大きな疑問でもあります。まず第一に、自民党に対する不満は、既成の利益集団にがんじがらめになっていることでしょう。今この利益集団を象徴する存在になっているのが、道路公団の藤井総裁です。自分たちの権益を何とか守ろうとするその姿は、ある意味で醜悪ですらあります。
「自由+民主党」がこうした利権の構図を打破できるかどうかは、実はこれらの政党の背後に誰がいるのかということに左右されます。自由党はともかくとして、民主党の背後にいる大きな利益集団というと、やはり労組でしょう。かつて労組は進歩派でした。しかし、乱暴な言い方ですが、今の労組は社会を変革する勢力ではないのです。むしろ労組員の権益を守る集団であり、その労組員の権益は今や「労働者の権利」というように敷衍(ふえん)できなくなっているのです。たとえば、大企業の労組と中小企業の労組では利害関係が異なるばかりか対立することすらあるとか、公務員の権益を守ることは必ずしも国民的利益ではないとか、いうことです。
日本の政治の目標は?
現代のように、国民が豊かになり(こう書くと、自分は豊かではないという反論が必ず出るのですが、総体的に見れば日本人は豊かになっているのは明らかです)、ブルジョワ対プロレタリアートというような階級対立がなくなると、政治の目標は非常に難しくなります。だからこそマニフェストが話題になるのです。3年後には保育所を完備というような公約は一昔前には考えられないものだったということが、この変化を表しています。自衛隊をどうするかとか、平和憲法をどうするか、といったテーマは、政治的な興味は引きますが、これを軸に政局が展開するわけではないと思います。
となると、果たして「自+民党」は自民党に対してどういうスタンスで臨むのでしょうか。改革を叫ぶのは誰でもできます。問題は、何が国民にとって望ましい改革であるかということであり、それをどう実行するかということです。実を言うと、この「自+民党」にそこまでの覚悟があるとはとても思えないのです。と同時に、われわれ有権者がこの政党に何を望むか、投票する側のコンセプトがはっきりしていなければ、二大政党の時代なんてやっぱり来ないとも思うのです。
今年の秋に行われるであろう総選挙で、どのような結果が出るのか楽しみです。そこで「自+民党」が予想外に波を起こすことができるかどうか。もし自民党が勝つようだと、やっぱり日本の有権者は何も考えていないということになってしまうのでしょうか。
関連リンク
「政治は国民を映す鏡」(「私の視点」2003年2月8日)
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民主党の混乱はひとごと?(「私の視点」2002年12月21日)
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あなたに「自民党的なるもの」はないか?(「私の視点」2002年7月6日)
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ewomanサーベイ「秋の総選挙で民意は活かされるか?」(嶌信彦さん)
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