

本当の民主主義を啓発するような(arrow・東京・既婚)
多分、こういう場に投稿したり、ネットを多く利用している人々は、すでに何か行動を起しているのではないでしょうか。実際、関東などでは民意が反映される選挙結果も出ている気がします。わたしも自分の選挙区の議員のホームページをチェックしたりメールしたりしています。返事も来ました。その人は国会議員に当選して以来、民意を反映する方向で活動していると思います。それもまた時々ホームページで確認しています。問題は、地元の付き合いや義理、人情、習慣で世襲議員などに自動的に投票する雰囲気がある地方ではないでしょうか。
だから、いくら永田町で愚行、悪行をしても、地元に帰れば名家の英雄(?)のまま。次の選挙で当選してしまうのではないかと。これには、本当にがっかりします。そして、そこで対抗できる対立候補は、相当パワーのある人でないと現状無理なのでしょう。民意を活かすためには、まず「本当の民主主義」とは何かを認識する、というベーシックなことから始めることなのかもという気がします。
日本には、欧米のように、自ら民主主義を勝ち取った歴史がありませんよね。アメリカやイギリス、フランスなどの民主主義を見てはいるものの、振り返れば日本にはまだ根づいていないのでは。メディアは、本当の民主主義を啓発するような大きなプロジェクトをしてほしいと思います。たとえば、嶌さんが例に挙げられたような、外国の活動をもっと紹介するとか、地方の政治で民意が反映された例を詳しく伝えるとか。
旧来型の考えでまかり通る国会議員(べんじゃみん・東京・32歳)
活かすように「行動=投票」しなければならない。旧来型の政治・経済の運営手法では今後は立ち行かなくなることが明白なので、旧来型のやり方をよしとする政治家には引き下がっていただかねばならない。また、福島瑞穂議員がメルマガ「ヴィーナスはあと」内でつい先日書かれていたが、「国会とはセクハラ対策などの研修が何もない古いところ」ということも大変気になる。つまり、国会議員とは旧来型の考えでまかり通ってしまう。これがそもそもの間違いではないか。このようなおかしな事実に、一人ひとりが声を上げて行動していくべきではないのだろうか。

自分の意見を示さずして「民意」を活かせない(kayotanhai)
現在の状況で民意なんて……とわたし自身投げやりというか無気力に考えていました。当然のことわたし一人が頑張っても、と思いますが、行動を起こさずにただ評論家になっていたのではと、今回のテーマをを読ませていただき感じることができました。どんな些細なことと感じても自分の意見を示さずに民意が……などと考えることはやめようと思います。自分の意見を自分の地域の議員に示すことから活動していきたいと感じます。
投票の棄権者にペナルティーを(mozu・愛知・パートナー有・54歳)
政治の質は国民のレベルに比例するといいます。信頼できないと嘆く前に、国民が見ているのだと議員たちにわからせなければなりません。投票率の低さから、議員たちは高をくくっているのではないでしょうか。たった1票と思わずに、一人ひとりがちゃんと考え、ちゃんと投票に行き、政治への関心の高さと興味を示すことが遠回りのようでも近道ではないかと思います。それに対しては、投票の棄権者にペナルティーを課すことを考慮に入れてもいいかと思います。
長老議員をどうにかすれば……(瑠璃・大阪・パートナー有・30歳)
小泉さんが完璧とは言えないけれど、よくやってらっしゃると思います。いろんなしがらみなどもあって、やりたくてもできないこと、言えないことがあると思うから。わたしが過去公務員だったので、そういうしがらみに頭を抱えたこともしばしば。それよりも、いつまでも長老ともいえる人たちが議員でいることをどうにかしては、と思います。民間ではリストラや定年退職の年齢が引き下げられているのですから、退くのは当然ではないでしょうか? 古いことが悪いとは言わないけれど、いつまでも甘い汁を味わう立場でいるのはよくないと思います。新しい人と入れ替えることによって新しく民意が反映できる余地が生まれるのではないでしょうか。
国民の政治への参加にインセンティブを(日系クリックマン)
政治家が悪いと傍観者の感覚で批判するのは簡単ですので、わたしは国民の政治意識の変革が必要だと主張したいと思います。地方政治に関しては、国民の政治への参加が必要だと思います。地方自治体へのボランティアによる参加などの貢献や、知識の習得に対して減税などの優遇を与えて、国民の政治への参加にインセンティブを与えるべきだと思います。また、国際政治問題について民意を反映させるには、やはり、電話やネットによる国民投票が有効だと思います。
成熟した市民が代表を選ぶという感覚が弱い(まりい・大阪・既婚・38歳)
投票したい政治家というのが本当に少ない。地元にわたしたちの意見を聴き、政策に活かしていく能力を持った政治家がいない。あと選ぶ側の問題もある。自分たちの目先の生活だけを考えて議員に要望したり国に要求するだけでは何も変わらないのではないか? カリスマ的リーダーを望む声は大きいけど、それよりまず自分の町のことくらい、自分たちでなんとかしようと思ってもらいたい。もちろんそうでない人も増えつつあるのだが、まだまだ少数派。成熟した市民が代表を選ぶという感覚が弱いのでは、選挙などしても何も変わらない。
マスコミに操られている民意ならば……(リマインダー)
そもそも「民意」なんていうものが今の日本国民にあるのでしょうか? 小泉内閣の支持率と言いますが、小泉内閣についてマスコミは誕生したときは反対勢力打破を煽り、株価が下がり先が見えないときは金融危機を煽っていました。りそなに公的資金投入が決まったときには金融危機目前のような報道ばかりでした。つまり、いわゆる民意とはマスコミにいいように操られている国民のその時点での感情に過ぎないのではないですか。民意が活かされるかという問いは、日本のマスコミは報道機関として成熟しているのか、大人の報道ができるのかという問いに通ずると思います。答えは今の国民にもわかるはず、NOです。それならマスコミに作られた民意など活かされるもなにも関係ないほうがまだマシなように思いますが、嶌信彦さんはどう思いますか? 報道は正しい民意を育成していますか?
地味な投票行動と些細な結果の相互作用で(yumiko555)
政党や選挙のシステムが変わっていない中で、今度の総選挙で急に民意が活かされるようになるとは、残念ながら、とても思えません。変化はむしろ、政党の縛りが比較的緩い地方選挙から現れる、ないし、現れ始めているのではないかと思います。1,000票余りで当選できる市区町村議会議員選挙に、普通の人が立候補し、普通の感覚で投票する。有権者がそういう経験を蓄積し、選挙や政治が民意を反映していなければ、物足りないという感覚を得れば、県レベルや国政レベルの選挙にも少しずつ、貪欲になれるのではないでしょうか。膨大な数の有権者がある日一斉に傍観者をやめる、というモデルは現実的でないし、もしそういったことが起こり得るなら、逆に、ある日一斉に傍観者に戻る危険性さえありそうです。それよりも、地味な投票行動と些細な結果の相互作用がスパイラル状に、多くの人の意識や行動を徐々に変えていくと信じたい。今の有権者はすでに「浮動票」という言葉でくくれるほど単純な存在ではないし、次の総選挙でドラマチックな何かが起こるか否かというのは、そんなに大きな問題ではない気もします。たとえ起きたとしても。
政党数を3から5程度に絞らない限り困難(A6M2・愛知・既婚・47歳)
国民の政治に対するニーズは、景気対策、安全保障、治安、教育、年金等、多種多様で、総選挙で国民の意思を反映することは事実上不可能だと思います。まず、政党数も多すぎると思います。安定した民主政治を実現するということを考えた場合、共産党から自民党まで左右フルセットの政党が存在しているというのは、国民の議論を拡散させる効果はあっても、一定の範囲内に収斂させる効果は期待しづらいと思います。期待を込めて言えば、連続して3回ぐらいは総選挙をして、政党数を3から5程度に絞らない限り、民意を反映することは困難と考えます。また、国民の政治への参加意識の問題は、方法論、たとえば、インターネットの活用などでかなり変わって来ると思います。いずれにせよ、多様化と言えば聞こえはいいでしょうが、政治的主張が極端に異なる政党が多数存在して、国家意思が形成し難い政治のインフラ(政党)の再編が急務だと思います。

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