今回の円卓会議で頂戴した数々の投稿は、いずれも本質的かつ有益なご意見ばかりだったと思います。中でも、昨日いただいたご意見の中には、深く議論する必要のある問題が多数含まれていました。
まず、今回の円卓会議の主たるテーマである紙台帳との「全件照合」に関しては、公務員の義務として全うすべきという紅茶博士さんのようなご意見が依然として根強い一方で、システム・トラブルの対応に従事されているご経験を踏まえて、当たりを付けながら絞り込んでいった上で最終手段として照合を行うことが必要だとするtibikoさんのご意見や、期間を決めて自己申告させて給付する方法を提唱されるしましまパンダさんのご意見、さらには同じく自己申告制などけりを付け、そろそろ前に進むことが大切だと主張されるゆいゆいさんのご意見など、現実的な対応を志向するコメントも多く寄せられました。言うまでもなく、どちらかの意見が正しくて、どちらかが間違いだというわけではありません。大事なことは、私たち国民が今後そのいずれの道を求めるのか、そろそろ真剣に議論しなければならない時期に来ているということなのではないでしょうか。
さて、国(行政)がミスを犯した場合、その失敗を許してもらうためにしなければならない最も大切なことは何か、という私の最後の問いかけに対しても、興味深いご意見がたくさん寄せられました。歴代社保庁長官の退職金返納や、着服や改ざん等を行った現場の職員に対して横領や背任の罪を負わせるべきだとするモリッシーさんのご意見は、やや厳しく聞こえる面もあるかと思います。しかし、その責任の問い方には議論の余地があるにせよ、責任の所在があやふやになっていることに対する不満は、多くの国民が共通して抱いている感情なのではないでしょうか。
確かに、自主的に退職金等の一部を返納した元長官もおられますが、「私の責任ではないが、道義上返納する」というニュアンスが強く、国民の納得感は得られていません。また、公務員だからと言って横領や背任の罪が問えないわけではなく、現に年金保険料を着服した職員は逮捕・起訴されていますが、こうした罪を犯した現場職員だけを処分すれば済む問題なのでしょうか。むしろ、年金記録に対する杜撰な管理体制を放置してきたエリート官僚たち(具体的には、自らのキャリアパスとして、数年間、社会保険庁幹部の地位を占めた後、本省に戻って出世街道を歩み続けていった厚生労働省の職員や、社会保険庁の本庁で採用された幹部職員、それに現場の実務に配慮することなく、ひたすら机の上でミスを犯しやすい年金制度を作り続けてきた厚生労働省年金局の職員など)にこそ、責任が及ばなければなりません。そこがあやふやになっていることこそが、国民の不信感を払拭できない最大の問題なのだと思います。
霞ヶ関(中央官庁)には、「無謬性」の神話というものがあります。行政(官僚)は「間違いを犯さない」という神話です。もちろん、本当に間違いを犯さないわけではありません。人間ですから誰でも間違うはずなのですが、それを「間違いではなかったことにする」のが霞ヶ関の文化なのです。私自身、かつて3年8ヶ月ほど、金融監督庁(現・金融庁)で非常勤の参事(後に顧問)をしていたことがありますが、役所の仕事の大半は、これまで行政が行ってきたすべての行為が「間違っていない」という理屈を作りつつ、こっそりと軌道修正していく作業に費やされています。私などは、「良かれと思ってやったけれど、それが間違いだったので、新しい方向に修正します」と言えば済むはずなのに、どうしてこんなに理屈作りに時間をかけるのだろうと不思議に思っていましたが、ある時、官僚の一人が、「以前の制度は今の事務次官が課長の時に作った制度なので、間違いだったとは言えないんだ」と教えてくれました。一瞬冗談かと思ったのですが、真顔だったので、ちょっと恐ろしくさえ感じたのを覚えています。実におかしな文化なのですが、霞ヶ関の住民になると、いつの間にかその文化にどっぷりと浸かってしまうのでしょうね。
そうした経験から、私自身は、しましまパンダさんと同じ意見を持っています。年金記録問題が起こってから、皆さんは、年金制度や年金業務に携わってきた官僚たちから、謝罪してもらった記憶がありますか? 私には、その記憶がありません。彼らは、もう少し待ってくれれば、紙台帳と全件照合することで、壊れた年金記録を完全に修復するので、今しばらくお待ちくださいと言い続けています。しかし、完全修復など出来るはずがないのですから、無理だと認めて謝罪するのが正しい道のはずなのです。しかし、ここでもまた、「無謬性の神話」が邪魔をします。謝罪することは、エリート官僚の誰かのキャリアに傷をつけることになるからです。紙台帳との「全件照合」のために湯水のように使おうとしている数千億円の照合費用は、実は国民のために支出されるのではなく、ほとぼりが冷めるのを待つことで、最後の最後まで謝罪を逃れようとする官僚たちのために使われるように見えるのですが、皆さんはどう思われますか。
最後になりしたが、今回の円卓会議では、国民の側にも責任の一端があったことをご理解いただいた上で、自分たちに出来ることを考えようと呼びかけました。ボランティアを中心に据えた「国民運動」という私の提案にご賛同いただいた真打さん、ありがとうございます。大それたことは必要ないと思います。身近なところに、年金特別便の意味が分からず困っている人や、不備に気づきながらも社会保険事務所に足を運べず困っている人がいないかどうか、見回してみることが大切だと思います。身近な者がほんの少しだけ手を差し伸べるだけでも、被害者の発見につながります。被害者の多くは高齢者です。介護ボランティアをされておられる方々などが、少しだけ年金記録のことを勉強して高齢者の方に確認していだだければ、かなりの被害者が見つかるはずです。こうした活動の輪が広がれば、おそらく紙台帳との「全件照合」に数千億円の税金を費やす必要はなくなると思います。
本当に楽しい一週間でした。これをきっかけに、本(『年金被害者を救え ― 消えた年金記録の解決策 ―』)が売れるといいな(笑)と思いつつ、今回の円卓会議は終了です。皆さん、活発なご参加をありがとうございました。
野村修也 中央大学法科大学院教授、弁護士 |
 |
|