
申し訳ないと思いながら(oopon・千葉)
家と職場の片道が1時間30分、仕事の状況によっては、2時間以上の通勤時間を要する場合もあります。自分のやりたい仕事のためと、自分の収入に見合った場所に住むことを検討すると、通勤時間がかかる結果になり、残業もあるので、朝7時30分に家を出て、夜10時ころ家に着く生活を、平日はしています。それなりの収入を得たければ、それなりの時間を働かないと、生活が成り立たないので、プライベートに対してはかなりの犠牲をはらっています。家族に対しては、できるだけのフォローを心がけていますが、「申し訳ない」といつも思います。
そういう時期もあったほうが良いかも(ありる・東京・パートナー有・31歳)
「仕事を長いこと続けていれば、そういう時期もあるだろう」という意味でYESです。ただし、それが「夫」という立場での男性ばかりに偏っていたり、「妻」という立場での女性ばかりに偏っていたりしたら、家庭は不幸だろうな、と思います。本気で仕事に取り組もうと思えば、人生のどこかの時期に「夢中で仕事に取り組んで、他のことがおろそかになる、おろそかになっていることにすら気づかない」ほどの経験もあった方がいいかもしれない。でも、それがたとえば5年も6年も続いたら、体か心か生活か人間関係、いずれかにかならず歪みを生じます。むしろ歪みに気づいても、どうにもならないところまで来てしまっている場合が多いでしょう。それまでも「仕方がない」と言うつもりはありません。けれど、それを「仕方がない」と言わせてしまっているのが、今の日本だと思います。残念です。
女が「男並みに働く」こととは(Ten・京都・パートナー有・36歳)
私生活や家庭が犠牲になることが年中いつもいつも、では決して「仕方がない」とは思えませんが、残念ながら現在の日本で仕事をしている以上、時々はそういうことがあっても仕方がないことだと思っています。現在の日本では女性が一人前に働くことはすなわち、「男並みに働く」ことが求められていることが多く、その「男」はやはり私生活や家庭を犠牲にしているのではないでしょうか。働き方や、私生活・家庭とのバランスのとり方は男女(特に男性)について全社会的に考え直さないといけない時期に来ていると思います。

まさに仕事人間です(Bise・東京・パートナー無・38歳)
NOに投票しましたが、実際はドップリ仕事優先生活です。ここ数年間同じような生活を続けてきたら、友達は減るし、趣味もなくなってしまい、まさに仕事人間でそれ以外は空っぽです。ホントは小説が読みたいのに、英字新聞広げてみたり、せっかくの土日もスキルアップのために学校に行ってみたり……。でも私はこんな生活から逃げ出したい気持ちでいっぱい。ストレス性の病気にも、次から次へとかかっています。競争したくない。でもそうしないと淘汰されてしまうこの社会、もうイヤだと思っている私はダメ人間でしょうか?
「犠牲」という考え方が悲しい(Lio・東京・29歳)
そもそも「犠牲」という言葉があまり好きではありません。私の場合は、仕事をしないと生活が出来ません。仕事はほぼ毎日残業です。業務時間外に委員会や会議があることもしばしば。だからといって残業手当が出る訳ではありません。ある意味、仕事のためにプライベートの時間を犠牲にしていると言えるでしょう。しかし、その時間を「犠牲にしている」と捉えるのは悲しいと思います。犠牲にしていると思うのではなく、自分の貴重な時間を割いて費やしていることは、意義のあるものにしたいと考えています。
メリハリをつけること(momo-can)
昔、それこそ「家に帰って寝るだけ」のような仕事をしていた時期がありました。その中で「自由な時間にスキルアップを」などと求められ、最終的に体を壊して退職という結果になりました。私は今、自分で仕事をしていますが、プライベートが充実していれば充実しているほど仕事も充実するし、その逆も然りだとつくづく感じます。仕事とプライベートのメリハリをつけることが良い仕事をし、プライベートや家族との時間の充実に繋がると確信しています。「仕方がない」と思っている場合は、仕事のやり方に無駄がないかなど再度見直す必要があると思います。
母が入院したのに(TAMAKI・岡山)
現在、母と二人暮し(父は単身赴任中)。その母が長期入院。そんななか、私は仕事で超多忙になり……休みも定時も関係ない日々が始まってしまった。上司は私の母の入院を知っているが、そして私は「仕事を減らしてもらえませんか?」と直訴もしたが、同情はされども仕事は全く減らない。むしろ増えた。動けない母の下着は誰が持って行くのか……たまには体を洗ってあげたいのに……。母にとってはエマージェンシーなのに、同居中の実の娘にも助けてもらえないなんて。「仕事だから仕方ない、我慢してね」などとは絶対に言いたくないんだけどなあ。
プライベートは時間の長さで計るのではなく(梶本洋子・東京・パートナー有・51歳)
長らくSOHOをやっていると、確かにある時期仕事のためにあらゆる時間を犠牲にしなければならないことはあると思いますが、逆にその状態のままでは、SOHOは続けられないとも考えています。私生活や家庭を犠牲にし続けることは、金属疲労を引き起こし、気づかぬ間に仕事の効率が極端に落ちていたり、何より仕事へのやる気を喪失してしまうように思います。ただ、大切なことはプライベートの時間を何時間取ることができたかではなく、如何にその時間を自分を仕事から解放し、仕事では得られることのない人間としての幸福を享受しあえたかによるのだろうとも思います。時間管理を自分ですべてスケジューリングできるという意味では、SOHOは効率の良い業務形態であるとも考えています。