

心を許せるのは家族だけ
(stardust)
わたしは人付き合いがとても苦手です。人間関係で常にストレスを感じている、そんなタイプの人間です。唯一、心を許して本音で接することができるのは家族だけです。
人間を成長させるのも家族
(だんごまま)
不幸な事件で子どもを失ってしまわれる方を見るにつけ、守らなければならない責任の重さを感じる。成長につれ出現する問題と直面し、面倒くさいと思いながらも、日々の成長を見守る喜びに支えられ、親としての責任を果たしていく。面倒なことから逃げてばかりいた独身時代を思うと、ちょっとは自分も成長したかなと思う。人間を成長させるのも、家族というものの不思議な力かも?とこれを書きながら思った。
パートナーの両親と合わない
(ごまたま)
パートナー、自分の両親、姉妹、おいなど大切な人たちです。が、一歩間違うと愛憎悲喜こもごもの対象になることも。わたしの場合、パートナーの母親とは結婚する前から合わなくて、結婚前から「あの母親が原因で離婚するかも?」と周囲の親しい人に漏らしていたほど。義姉は一時同居もしていて、さらに悲惨な目に遭っており、何度も家出した挙げ句、最後は一家で別居することに。
実の親子なら憎らしいと思っても、最後は親だから子どもだからであきらめがつくこともあるかと思いますが、義理の仲だと正直「早くポックリいってほしい」と思う場合もあるのでは? そこまでいじめられて、本人が寝たきりにでもなったら介護させられるのかと思うとゾっとします。これからは、虐げられていた嫁の逆襲で、「老人虐待」という事態も増えるかもしれないと思います。
「家族家族、大切大切」と言うのははばかられる(aim↑)
家族にも血のつながりのある親や子ども、他人と言われる夫婦といろいろあるので、自分の中でも分かれます。遠くにありて思うふるさとのようなもので、始終「家族家族、大切大切」と自分が言うのははばかられ、人のを聞くと胡散臭い気がします。失いたくないものにはYesですが、丹下さんに「aim↑さんの削ぎ落とされたような『恋』にあこがれます。静かな喜びに満ちた旅でありますように」と言っていただいたその旅の時、家族と別れてから帰り着くまで、家族を思う瞬間がありませんでした。薄情な自分に驚きました。
家族がいなければ、極端な話……(aibe・大阪・既婚・28歳)
人様に迷惑をかけないように、恥ずかしくないように、と考えて生きているのは大切な家族がいるからだと思う。家族がいなければ、極端な話、犯罪者になってもおかしくないと思う。恋人もほぼ同じ。
いざというときは家族のそばにいたい(kuniwaka2001・神奈川・既婚・32歳)
結婚して新しい家族を作り、独立した生活を送っていますが、九州に住む両親との距離に歯がゆさを感じています。もちろん、九州を出て、東京で仕事をし、結婚することを選んだのはわたしだけれど。来年早々、母が手術をすることになりました。命に関わる程のものではありませんが、それでもいつも元気な母が入院することは想像できません。
普段、みんな元気なときは連絡を取り合っていなくても平気なのですが、母が入院すると聞いただけでかなり動揺してる自分がいます。幸い、年内で会社を退職するため、母が入院する前後は付き添うことができそうです。すこしでも安心して手術を受けさせてあげたい思いでいっぱいです。いざというときはやっぱり家族のそばにいてあげたいし、そばにいてほしいです。
もう一つ新しい家族を(ポジティブ・東京・未婚・23歳)
2カ月前、超健康体であった父が突然倒れました。救急隊員や医師に「助からない」と言われましたが、大手術で一命を取りとめました。自分の命と引き換えにしても、生きてほしいとただただ祈りつづけました。いつも当たり前のように存在していた家族でしたが、これほどまでに自分を支えていてくれる大きな存在であると再認識いたしました。
現在まだ入院中ですが、時間を作ってはほぼ毎日お見舞いに行っています。そんなわたしの存在が父にとってもかけがえのないものだと日々感じることができます。これからも大切にすると同時に、わたしも絶対に失いたくない、かけがえのない存在を自分の手でもう一つ新しい家族を作っていけたらいいなと思います。
強くたくましく明るく生きていきたい(琴祐・神奈川・既婚・32歳)
昨年の11月に入籍をし、現在結婚丸一年過ぎたところです。結婚する前のわたしには「家族」とはうざったくて、足かせにしかならない存在でしたが、今、新しく自分も家族を持ってみて(といっても、子どもはいませんが。夫は家族ですよね)「家族」とはものすごい絆で結ばれた共同体なのではと思います。
結婚式を半年前にあげました。親戚中心のごくごく小さなものでしたが、それぞれの存在があって自分たちがあることを実感しました。夫の両親の娘になった、とはリアルには思いませんが、お父さんお母さんが増えた、とは思います。自分の弟にお兄さんができた、とも思うし、彼のお姉さんがなんだか心強いです。独身の頃は自分の存在は自分一人のものっていう意識が強すぎたのかもしれませんが、今は家族のための自分でもあるなと思います。
子どもができたら、より強く思うのかもしれないし、逆に「わたしの家族」っていう意識が狭く感じてしまうかもしれません。いずれにしても、入籍し結婚した以上、わたしは今の家族(夫の実家を含めて)を絶対に失いたくないなと思います。離婚した人はものすごく心に痛手を負ったのだなあって、思います。それぞれの立場で、強くたくましく明るく生きていきたいですね。

「絶対に」と言われると(いまいくん・埼玉・既婚・40歳)
夫婦仲は悪くないと思うし、小学3年の子どもも可愛いと思う。が、「絶対に失いたくないもの」かと問われれば、どうなんでしょう。こんなことを言うと冷たいヤツだと言われるでしょうけど、家族がなくて天涯孤独でも、人間生きていくことはできる。家族があるがゆえの悩みやつらいこと、重荷に思うことだってあるはず。ただ家族が暴漢に襲われたりしたら身をていして守るでしょうね。たとえ命を失うことになろうとも。しかし「絶対に失いたくない」か?と問われたら、正直言ってNoです。
親子関係と夫婦関係はまったく違う「家族」(melissa)
正直、YesかNoにするか迷いました。あえて少数派のNoに。家族には、2通りあると思います。親・兄弟などの自分の意思で選べない家族と、夫婦・子どもなど自分の意思で選べる家族。本日、丹下さんが「それぞれ家族との物理的距離と心理的距離がある」とコメントされていましたが、わたしは今、選択してない家族(親)からの心理的重圧にわたし自身がつぶされかけて通院しています。
いくら家族だからといって、どこまで自分を犠牲にして「家族関係の存続を行っていくのか」判断を迫られています。反対に、自分の意思で選んだ家族(まだ婚約者ですが)は、絶対に失いたくないものです。人格の違う二人が一生家族でい続けることはそんなに簡単ではないと思います。でも、自分で選んだ家族だからこそ、価値観をすり合わせ、問題を抱えながらも、少しずつ「家族」になる努力をお互いにできるのではないでしょうか。わたしにとって、親子関係と夫婦関係は同じ「家族」でもまったく違う意味のようです。みなさんはどうなのでしょうか。

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