
どこまでが「しつけ」でどこまでが「虐待」なのか(ふろすと・兵庫・パートナー有・42歳)
子ども(特に兄弟の中で相性の良くない子ども)を叱ったりけんかしたりするとき、後で冷静になってみると「これって虐待かな」と思うことがあります。どこまでが「しつけ」でどこまでが「虐待」なのか。体罰だけでなく、精神的な言葉の暴力もありそうで、時々後悔したり悩んだりします。わたしたちが子どもの頃は、「虐待」など問題にならなかったと思うのですが、あの頃の親は、そんなに悩まず自分流に叱ったりたたいたり、けんかしたりできたのでしょうか?
親子の愛情って何だろう(月夜桜・大阪・パートナー無・30歳)
以前塾で講師として小学生に教えていました。その中で子どもや学校に対する保護者の態度に憤りを感じることも時々ありました。忘れられないのが、成績のいい姉だけをかわいがり、弟を「汚くてばかだから」と人前で罵る母親でした。弟の授業参観には行かない、姉には新しい服を買って弟にはもらい物を着せる、その服も洗わない、成績が悪いと食事で差別するなど、週に一度会うわたしが知っているだけでも、細かい虐待がありました。
だんだんエスカレートして、塾のテストが悪いと迎えに来た外で殴るようになりましたので、塾と学校の先生が協力をして、母親に注意を促しましたが、改善せず、結局その子は祖母に引き取られることになりました。力が及ばす、悲しい思い出です。母親はしつけと言い張っていました。親子の愛情って何だろうと考えさせられました。
言葉の暴力が増していると感じる(りんべる・イギリス・パートナー有)
わたしの住むイギリスでは、子どもへの体罰が法律で禁じられています。これは親・教師にも適応されます。かつて19世紀の学校では、むちや定規で子どもに体罰を与えることが普通であったイギリスで、なぜ厳しい制裁が加えられているのか。それは児童虐待があとを絶たないからです。離婚率の上昇とともに、義理の親に虐待されるケースなども増えています。
そして、非常に残念に思うのが、体罰ができない分、親の子どもへの言葉の暴力が増しているように感じることです。たとえばバスの中でうるさく騒ぐ子どもに向かって母親が「いつまでもうるさいと川に投げ捨てるよ!」なんてことを言います。子どもは親が本気なのかどうかもわからず、怖がって黙りこむ、そんな光景を見受けます。体罰はいけませんが、言葉の暴力も同じくらいに深刻なものです。何かいい対処法はあるのでしょうか?
親の孤独に心が痛み、解決の難しさを痛感(ねずみ・兵庫・パートナー有)
実際に、虐待を受けていた子を知っています。虐待に気がついたおばあちゃんが、自分の手元に引き取り、近所に越してきたのです。少し当たっただけで出血する、歯がボロボロの口の中を見て、涙が出そうになりました。でも、虐待をしてしまう親の孤独も、理解できないわけではない。ただ非難をすることは簡単ですが、そうしてしまう孤独を想像するとき、心が痛み、解決の難しさを痛感します。
自分を正当化することでバランスを取っていた(はなっち・兵庫・パートナー有・37歳)
実際、自分が虐待に近いことをしていた。どこへ行っても、外では「いいお母さん」「子育てが上手」と言われていた。今は、自分の弱みを他人に言えるようになり、肩の力が抜けて、本当の子育て上手になれた気がします。その時は、必死で、自分を正当化することでバランスを取っていたので、虐待をしているとは思ってもみなかった。今でも、後悔の悪夢を見ることがある。
ストレス解消の対象になっている?(shirosanz・大阪・パートナー有・37歳)
言葉の暴力も含めると、ごく身近にあることと思います。同じマンションからも聞こえてきます。父親が出勤した後から夕食時までずっと。ストレス解消が子どもに向けて行われているようで、聞いていられません。