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2004/10/11(月) - 2004/10/15(金)
1日め:テーマの背景 | 2日め | 3日め | 4日め | まとめとリポート
4日め

テーマ子どもの虐待、身近にあると思う?

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凡例
キャスター
古荘純一
古荘純一 小児精神科医・青山学院大学助教授

いろいろなご意見をありがとうございました。 どこまでがしつけでどこからが虐待か、誰にでもわかる線引きはありません。現在は、虐待を、大人と子どもの関係性の問題ととらえ、子ども側に少なからず影響のあ……

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これまでに届いているメンバーからの投稿

YES

疑いのある場合を軽視しないで(鵜骨鶏・愛知・パートナー有・33歳)

長年児童養護施設で子どもとかかわってきたわたしにとって、虐待という言葉はまったく珍しい言葉ではありません。多くの被虐待児とその親たち。特別な人では決してありません。ただ、自分の行為が虐待だとは微塵も思わない親がほとんどなのも事実。そして、子どもも……。

どうしたら虐待がなくなるのか、数多くのケースとかかわってもいまだにわかりません。ただ被害者である子どもと加害者である親を児相という同一機関がケアする体勢にも無理がありますし、一つのケースにじっくりかかわることができない厳しい現状もあります。一般の人がもっともっと虐待に対してのある程度の知識を持ち、決して疑いのある場合を軽視しないで。わたしは小さい子を見るとついジロジロ体を見たり、観察してしまいます。どうか、周りをよく見回して、気づいてあげてください。

特定の子どもに対する行為(lovemight・パートナー有・26歳)

今から考えてみると、昔暮らしていた町での隣家の子ども(4人兄弟の三番目の男の子ばかりが叩かれて泣いていた)を叱る姿や、小学校の先生の行っていた特定の子どもに対する体罰は、虐待だったのではないかと感じています。わたしの両親が毎度仲裁に入るのですが、しつけだといって叩き出されるのがオチで、その家庭の父親がある日ふらりと出て行ってしまった時には、正直ひどくホッとしたものでした。

虐待予備軍がひそむ温床は(ホケン・愛知・パートナー有・27歳)

わたしは今、育児中ですが、両親も働いているために頼るところが夫しかありません。しかし、なかなか協力は得られません。どうしても、家に1日中いると、暇しているイメージがあり、家事はすべてわたしにのしかかってきます。結局、わたしは一日中働き詰めで自分の時間はないありさま。そんなのが続くと、自分も虐待してしまいそうになります。そういった環境の方はたくさんいらっしゃると思うので、わたしはその辺に虐待や虐待予備軍がたくさん存在すると考えています。身体だけではなく、精神的な虐待もありますから。

すぐそばに虐待があると実感(ゆかりっくす・神奈川・パートナー有・30歳)

子どもが1日中、何をやっても泣き叫んでいたことがあり、昼間、子どもと二人っきりでいて、ボーッと「ベランダから抱っこしてる手を離したら、この子、死んじゃうんだなあ」と思ったことがあります。これで、一線を踏み越えてしまうとまさに虐待だと思い、本当にすぐそばに虐待があると実感しました。

近所のママにも、「一日中泣かれて困った」という人がいて、よくよく聞いていると、やはりわたしと同じ心境になったことがあると言っていました。こうした話も、どちらかが心を開いて「虐待の一歩手前だった」と言わない限り、相手も「虐待なんて信じられない」という言い方をするだろうなと思います。近所でも、ほとんど家から出ないというお母さんは多く、密室育児になっていて、虐待は起きていないのか、心配になります。

愛情をともなっているかが分かれ目(いまいくん・埼玉・パートナー有・41歳)

性的な虐待などは論外ですが、身体的なものに関しては「しつけ」との区別が難しいですよね。何度言って聞かせてもわからないような場合、ピシャリとやるのも時には必要だと思います。しかしそれがどんどんエスカレートしていくと……。その分かれ目は、まず憎しみではなく愛情をともなっているか。親が「良くないことだけどやむを得ない」と思っているか(=当然のことだと思っていないか)。そして子ども自身が「自分が悪かった」と感じているかではないでしょうか?

虐待は子どもの人格を認めずに叱ったりする行為(ガク・兵庫・パートナー無・33歳)

虐待はあると思います。買い物などに行ったりすると、子どもが汚い言葉でののしられたりしています。そういうのを見ると、胸が痛いです。泣いて母についていってる子どもから「愛して!」という心の悲鳴が聞こえてきます……。「しつけ」は、罰をともなうものではなく、あくまでも「暮らしていく上で、周りの人間とうまくやっていく方法、周りの人に迷惑をかけない方法を教えるもの」だと思うので、暴力は必要ないと思います。「虐待」は、子どもの人格を認めずに叱ったりする行為だと思います。

一概には言えないと思う(wakano)

「しつけ」と「虐待」の分かれ目がどこかなんて一概には言えないのではないでしょうか。他人から見れば、親が子どもに体罰を与えていれば良くないと思うかもしれませんが、親だからこそできる「しつけ」もあると思います。そのため、どれがしつけでどれが体罰だなんて一律には言えないと思います。親は必死で子育てすることと思います。そのために度が過ぎ、子どもの生死にかかわったり、成長を妨げるような体罰を加えたり、一生立ち直れないような心の傷を負わせる言葉の暴力を浴びせるようならば許されないと思いますし、それは「虐待」と呼べると思うのですが、「虐待」の意味を拡大解釈し過ぎるのはどうかと思います。

体罰も愛情があるからこそできることがあり、それに感謝している人も世の中にはいます。ですから受けた本人が「虐待」と捉えるか否かで随分意味が変わってくると思います。ただ受けている子どもは理論立てて嫌な気持ちを伝えきれないことがよくあるので、そこがこの問題の難しい点だと思います。ただし自分が親になった時、親の苦労や気持ちがわかり、少しずつ心の氷が溶ける時もあるでしょうし、「一概に言えない」というのが答えなのではないでしょうか。

あとは全然関係ない、という姿勢がある限り(ヒロカ・千葉・パートナー無・30歳)

毎日目にしています。しかもごく当たり前の出来事になっていると思います。まず、「子どもの虐待」とくるとすぐ「育児・母親」とつながっていくと思うんですけど、わたしはそこがまず違うと思います。たとえば、援助交際は立派な虐待ですが、今やよくある出来事で、しかも「売ってるものを、金を払って買うだけだからいいだろ」と、買う側に「虐待」という意識すらないのです。大人サイドでこの行為を続けた場合、次世代にどれほどのダメージを与えるかきちんと討論したのでしょうか? 子どもの事件は育児中の親(特に母親)に押し付けて、あとは全然関係ないように切ってしまうこと自体が虐待を支える根っこなんじゃないでしょうか?

原因を取り除いた(あきんぼ・東京・37歳)

自分自身です。精神的にも肉体的にもかわいそうなことをしていたと思います。原因がわかっていたので、わがままとはわかっていましたが、原因となる要因(家族でした)を取り除きました。完全に要因を排除してから8カ月になります。以前は、子どもの行動に不思議なことがたくさんありましたが、不審なことは起きなくなり、幸せに暮らしています。わたし自身が、家族との関係で追い詰められていたので、わたしが子どもを追い詰めていたのでしょう。

NO

お母さんか子どもに声をかけて(あは・東京・パートナー有・34歳)

あるかもしれないし、ないかもしれない。でも、なんでもかんでも虐待に結びつけることで、かえって追い詰められる人もいるのでは? 反抗期なんてすぐ泣くから、外で泣こうものなら「かわいそう」「虐待じゃないか」など、嫌な感じの目で見られて引きこもる人も少なくないでしょう。そうやって、どんどんノイローゼの人を増やしていくのです。子どもが泣いていたら、お母さんか子どもに声をかけてほしいと思います。

昨日までのみなさんの投稿を読んで

しつけと虐待、分かれ目はどこ?

いろいろなご意見をありがとうございました。

どこまでがしつけでどこからが虐待か、誰にでもわかる線引きはありません。現在は、虐待を、大人と子どもの関係性の問題ととらえ、子ども側に少なからず影響のある行為は一般に虐待と判断されます。従って、子どもを殴ったり、明らかに自尊心を傷つける言動などは問題行為と考えるべきでしょう。ただし、子どもと大人に信頼関係があり、状況によって体罰があることを子どもが認めている場合などはこれに該当しないでしょう。

しかし、信頼関係や、子どもへの影響は、当事者では判断できません。大人が愛情を持って体罰を与えたとしても、子どもには外傷体験となりうるのです。時には厳しいしつけも必要なのは事実ですので、難しい問題です。

昔、体罰が当然と考えられた時代もあったと思います。あまり問題とされなかったのは、現在よりも大人と子どもの信頼関係があったのか、それとも多くの子どもたちのトラウマ体験が気づかれなかったのか、結論は出せません。

虐待(と考えられる行為も含む)に気づいた人が、それを判断することは困難です。改正された法律にもありますが、「虐待と思われる」という時点で通告し、虐待かどうかの判断は、児童相談所に委ねることが必要です。ネグレクトや心理的虐待は、子どもの様子はどことなくおかしいが、保護者の様子はさほど問題がないように見えることもあります。

しかし、その場合も通告は必要です。その後の調査は児童相談所に任せればよいのですし、結果的に虐待がなかったと判断されても問題はありません。ちょっと飛躍しますが、育児に悩んだ際にも、自分と子どもの関係性という点で、一人で悩んでいないで、誰かに客観的な意見を聞くことは必要だと思います。

さて、わたしたちは、虐待を防ぐためには何をするべきなのでしょうか。広く、大人と子どもの関係性、次の世代への継承、少子化や情報化など、最近の新たな問題も含めて、皆さんのご意見を聞かせてください。

古荘純一

古荘純一

小児精神科医・青山学院大学助教授

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