
死別と離別(おっとっと・千葉・パートナー無・39歳)
世の中の一般の人はそんなに昔ほど片親ということには抵抗がないように思います。私も4歳と5ヶ月の2人の息子を抱えて別居から裁判、離婚となりました。保育園の仲間も子どもたちの世界でもひとり親というのはそんなに特別視されるものではなくなってきているのですが、行政側はひとり親の子どもたちの色分けを始めてきました。これには怒りを通り越して絶句です。ひとり親の子どもたちに支給されていた手当が昨年から死別のみ、つまり遺児のみの支給となったのです。どうして死別、離別という個々の事情で子どもたちを選別していくのか、お粗末な社会保障の一端が露呈されているそんな気がしています。
周囲にオープンにすること、引け目をもたないこと(メイ・サートン・兵庫・パートナー有・40歳)
娘が1歳のときに離婚し、現在、働きながら育てています。幸い私の両親がサポートしてくれるので、仕事の面でも子育ての面でも不自由はしていません。気をつけたのは、子供にも、なぜ離婚したのかを、きちんと説明し、また、まわりの友達やお母さん方にも話してオープンにしていることです。会社でも、まわりも話してあるので、外資であることも手伝って、いやな思いをしたことはありません。大切なことは、まわりにもオープンにし、自身が離婚に対して引け目や、ネガティブな感情をもたないことではないでしょうか?そうすれば、まわりも変わってゆくと思います。
経済的な課題はあるけれど(おさえ)
yesにしましたが、色々な面があると思うのです。シングルマザー世帯が低所得というのは日本に限らない問題ですよね。女性の賃金問題、何故女性の賃金が低いかを考えると税制の控除の問題等までが、シングルマザー家庭を苦しめる直接的、間接的原因になっていると思うのです。単価が低い上に、育児は手がかかり、三度三度の食事ばかりでなく、病気だ行事だと労働時間も少なくなる……経済的にはまだまだだと言わざるをえませんね。父親の合意のもと生を受けたならこちらからの支援が享受できる仕組みを構築する必要があると思うのです。でも、社会的居場所という感覚からすると、世間が慣れて来ているように思います。いろいろな生き方ができることは素晴らしいことだと思います。結婚はしたくない。でも、子どもは育てたい。母親側からすると選択できるのはありがたいことです。子どもがかわいそう? そうですか? うじうじ、しながら生きる親が育てるより、余程、キッパリした人間に育つのでは?ひとりで、子どもを引き受けて生きようとするする方を応援する意味でもあえてYesにします。
子どもは親の背中を見ています(タッキー5号・千葉・パートナー無・36歳)
両親の仲が険悪の家で育つ子どもは不幸です。子どもはいつでも親の背中を見ています、離婚して親権がおかあさんの方にいっても、おかあさんがしっかりしていれば、子どもも”僕(私)に出来る事”を考えるでしょう。思い切ってやってみたら、我が子のたくましさに驚きますよ。大丈夫です。きっと。

問題はシングルファーザー(星みづき・東京・パートナー無)
以前よりは幾分良くなってきていると思いますが、まだまだシングルマザーには厳しい状況ではあると思います。それよりも問題はシングルファーザーです。同じ「ひとり親」であっても、シングルファーザーには何もありません。その意味では「シングルマザーは恵まれている」と思います。シングルファーザーでもOK、という状況に、早くなって欲しいと思います。
社会が変わるのを待っていられない(やまみち・東京・パートナー無・40歳)
私はシングルマザーを選択しました。でも社会はOKと思えません。シングルマザーに限らず、小さい子どもを抱える人、高齢者を介護している家庭、障害者を育てている人、などすべての人にとってOKとは思えない社会だと思います。では「NO」なのになぜシングルマザーを選択したか?の理由ですが、一言で言えば「社会が変わるのを待っていられないから」。楽観的と思われるかもしれませんが、事例が増えれば新しい「常識」になるのではないかと。また、Mikakaさんの家庭と同じように母には「おまえたちの就職や結婚にひびくから(離婚を)我慢している」と言われ、人生の選択を人のせいにするのは真っ平!という思いもあります。自分も含め、シングルマザーが経済的、時間的な自由を持って社会参加ができるよう先月、友人と会社を立ち上げました。「シングルマザーなんですか?」ときかれたら「それが何?」と言えるようにしたいです。
教育の現場から(ユミッフィイ・埼玉・パートナー有・39歳)
高校に勤務していますが、今だに同僚や保護者などは「先生たるもの、道徳的に完璧であるべき」と考えている人が圧倒的だと感じます。そのような保護者の方たちも、世の中にはさまざまな理由でシングルマザーになっている人もいるし、人の生き方は十人十色なのだ、と理屈ではわかっているのだと思います。しかし、いざ自分の子どものことを考えると「常識からはずれていない生き方を公私共にしている先生から教えてもらわないと困る」という気持ちになるような気がします。事実婚で名字を変えていなかったり、できちゃった結婚をした教師仲間もいますが、彼女たちに対する同僚教師や保護者の批判は大変大きくかつ陰湿で、このような社会ではシングルマザーになるなど考えられないです。教育の場ではいろいろな生き方を容認する雰囲気があってこそ、本当の教育になると思うのですが、今はまだそのような雰囲気にはほど遠いです。
娘とともに歩む(ルミちゃん・東京・パートナー無・32歳)
未婚の母をしています。現在は、親元に娘(5歳)を預けて、働いていますが、4月からはやっと一緒に暮らせることになりました。経済的に見れば、同年代の男性会社員平均よりお給料を頂いていると思いますが、仕事の終了時間が見えず小さい子を、他人様に預けてはかわいそうだと私の両親が、5歳になるまでは面倒を見てくれると言ってくれました。おかげで、仕事に集中でき役職も頂き、マンションも買いました。外資系企業ということもあってか上司や同僚および部下からは、多くの理解が得られています。(そうでない人もおりますが。)とにかく、周囲の協力と理解が大切だと思います。これがなければ、今後の私は無いと思っています。Yumminさんの仰るとおり、子どもがいる=結婚しているという考えが通常の概念として世間では蔓延しています。ですから、いつもは子どもがいるということは公表しませんが、言わないといけない場合には「子持ちですが、未婚です。」と言っています。 娘の幸せが、私が結婚している、いないに左右されるとは到底思えません。近くに住む友人や、友人のお母様までもが、いつでも協力してくれると言って下さっていますし、たくさんの方々に助けて頂いています。そんな彼女ですが、彼女の回りはいつも愛で溢れていると思っています。 書類上の結婚の事実よりも、人と人とのコミュニケーションのほうが大事だと思いますし、それらを通じて強くて優しい、愛に満ち溢れた子になってくれればと願いつつ、彼女とともに成長できればと思い頑張っています。