
低下はしているが、それよりも大切な教育がある(xxxmiyazixxx・東京・パートナー有・31歳)
『学力』は低下していると思います。私の子ども時代は標準人間の大量生産、まんべんなく『学力』があっても、判断力や応用力の少ない人間を育成する教育であったと思います。その教育が、方向転換をした結果なので、仕方ないでしょう。学力より大切な教育に力をいれなければいけない社会になったきたのですよね。子どもができたら、勉強ができても頭の悪い人間よりは、試験がなくても、大人になっても探究心をもって学び続けていける人、命の大切さや愛を知り、状況判断のできる人になって欲しいと思います。
ゆとり教育は「考える」時間のはずだったのに(ぺなん・東京・パートナー有・27歳)
「学力」を「課題を発見し、自ら考え解決する力」とするならば低下しているのではないかと思います。「課題を発見し、自ら考え解決する力」とは次のような流れで行われると考えています。「疑問発見・興味(学習意欲)」→「知識」を用いて「考える」→「解答・解決法のアウトプット」。「ゆとり教育」は知識詰め込みでなく、「考える」時間を確保してあげようとするものであるべきだったのに、単純に授業時間数だけを削減してしまった。そこに大きな問題があったのではないかと思っています。
変わりゆく社会を反映した教育を(マダムペコチャン・石川・パートナー有・42歳)
学力って何なのでしょう?教育審議会がいう算数?、国語?データとして出たのですから確かに低下したのかもしれませんが、だからといってすぐに「ゆとり教育」の見なおしをするのはおかしいと思います。だったらその前に行った「週5日制」も考えるべきだと思います。「ゆとり教育」が子ども達にとってどういう影響を与えたか?そちらのデータもとって欲しい。すくなくとも悪い教育ではなかったと思います。社会が変わり子どもを取り巻く環境が変化したのは確かです。だからそれをまともに受ける子どもが変わっても仕方ないことだと思います。子どもは社会の姿を反映しています。今の子ども達を見て、なにが彼らに必要か?彼等が何を求めているのか?考えてほしいと思います。今また学校教育が変わり、それに振り回される教育現場の大人達、それ以上に影響を受けるのが現場にいる子ども達です。実験台ではありません。私達にとって大切な宝物です。もっと先を見とおして、子ども達の人生を考えてゆっくりゆっくり大きく育ててやっていただきたいと、3人の子どもをもつ母は願います。
「個性」を伸ばす教育?(momo-can)
全体的に低下していると言うよりも、格差が激しくなっているのでは?と感じます。また出来る分野と出来ない分野が激しく、プログラミングが得意で数学は好きだけど、国語が苦手で敬語もろくに使えないなどの偏りを感じることもあります。そして一番怖いのは、それを子ども自身や周りの大人が「個性だ」と言い張り、知っておくべき常識を知らないことですら、他の分野で特化したものがあれば良しと思ってることではないでしょうか。我が家では食事中に「これは骨を強くしてくれるよ」「これはお肌がつるつるになるよ」など簡単に栄養の役割を説明しながら食べてます。なにも塾に通わなくても教えられることはたくさんあると思いますが、それをわざわざ校外学習やゆとり教育の時間にやらないといけないというのは疑問を感じます。低下してるのは子どもの学力だけではなく、親の世代にも言えることかもしれません。
学ぼうとする意欲の低下(おこめ・東京・25歳)
現在大学院生で、学部の学生にTA(ティーチングアシスタント)として教えていますが、学力低下は大いに感じます。理系の大学生なのに、「三角関数」「三平方の定理」といった数学の基本的な部分を全く知らないと言う学生には本当に驚きました。一体、どうやって大学に入ったのだろう……と思ってしまいます。また、多いのは「答えだけ知りたがる学生」です。自ら理解しようとする姿勢が無いのですね。こういった学生を見ていると、わたしはむしろ、「学力低下」というよりは「学ぼうとする意欲の低下」ではないかなと感じています。自分の目標や生き方を見つけるために、小学校、中学校で基本的な勉強をするんだよというようなことを、小さい頃から教えていくべきではないでしょうか。ただただ、良い学校にはいるための勉強では、何も生きてきません。

漢字や算数よりも大切なこと(梶本洋子・東京・パートナー有・51歳)
そもそも学力って何で測るのでしょうか。漢字や算数の問題をより多く正解することが学力であるなら、子ども時代に培わなければならない優先事項は他にあるのではないかと考えています。漢字を1字でも多く覚えるより、他人に対する思いやりや協調性、自立心、独創性などに根ざした行動をとれるかどうかの方が重要であると、私は考えます。確かに子どもの頃から勉強する習慣をつけることは大切なことであるとは思いますが、なぜ勉強しなければならないのか。勉強しなければならない内容は、どんなものなのか。それを決定付ける根幹が、少しズレているように感じています。例えば、「小学校2年生には教えない漢字だからといって、自分の姓と名を漢字で書くことが許されない」それが教育であるとするなら、そういった方針こそ抜本的な改革が必要ではないでしょうか。
現行指導要領で何かを得られたのか(靖・東京・パートナー無・33歳)
子どもと接する機会がないので、正直なところ私にはわかりません。しかし、理由もない勉強に対して子どもが勉強をするはずはありません。現在教育の方向性を考えている人の発想は、「結局日本は学歴社会ありきなんだな」という落胆があります。私はあまり将来の職業について考えたこともなく、勉強をする理由を問うても答えられる大人は周りにいませんでした。しかし、小学生時代は、ピアノや天体観測、陸上などに熱中し、わりとのびのびと育っていったと思います。現代の子どもについても心から熱中して楽しいものを見つける先導役として、きちんと大人がヒントを与えてあげられれば良いのですが、実際の現場はどうなんでしょうか。現行指導要領で教育を受けた子どもはかわいそうだと思いますが、それに変わる何かを得られたという、うれしいレポートは全く読んだことがありません。あったら是非見てみたいのですが。