
学力っていったい何?(ぺなん・東京・パートナー有・27歳)
頭の良さは遺伝ではなく、環境要因によるところが大きいということを聞いたことがあります。子どもの知的好奇心をひくことのできるモノがあるか、子どもの疑問に的確に答えられる人がまわりにいるか……などなど。環境が人を作るというのは、納得のいくことですよね。それを考えると、今の学力低下論争は「ゆとり教育」だけを取り出していることに違和感を覚えます。学校という子どもの世界の一部分だけで学力は養成されるわけではないのに……。家庭、地域、社会と子どもを取り巻くさまざまな環境の変化の複合的な結果として、現状の子どもの学力がある。学力低下の原因を学校教育にだけ求めようとするのは、少し乱暴かなと思っています。また色々な方の投稿を読んでいると、「学力」の定義がそれぞれ異なっていることを感じます。「学力」って一体何を指すんだろう……という目線も、そろえていけたらいいなと思います。私は学力の中身は、「知的好奇心」「知識」「思考する力」「アウトプットする力」の4つなのかなと考えています。
短期的な成果を問う教育へ(さなこ・東京)
全体的に学力は低下してきているように感じますが、何よりも学力の質が変化してきたのかなあという感じと、私自身も学生時代に身に付けた知識がどれほど残り、どれだけ伸ばすことができたかと思うと、こちらも低下してきたなあと思ってしまう次第です。普段使わない能力や記憶は、次第に落ちてくるものだと思うのですが、自分自身が普段仕事で使用するものや、周りをみてみると情報収集能力などは時代が差し迫って必要としている能力であり、学生を問わず延びているのではないかと思います。また、英語の問題一つとっても、過去の問題に著名な良書が多く、語学力のみならず読解力が要求されたのに比べ、次第とニュースの記事などを大量に読みさばく問題へと変化していると感じ、これも時代が要求した変化なのだろうかと思いました。また、仕事をしていて思ったことですが、目標を設定し成果を問う成果主義は、その期限と達成に心を奪われるあまり、短期的な目標に追われ、じっくりと能力を育てていくことが時に難しいと感じます。私は受験ブームの中で育ちましたが、そのときも同様のことをなんとなく思ったことを覚えています。ゆとり教育の是非と同時に、低年齢からの就業に対する教育や、大げさですが大きな志を持つことの大切さを感じることが、ひいては学習意欲を向上し、学力へとつながるのではないかと思います。
学力よりも生活力(きの)
何をもって学力とするかにもよりますが、学力と生活力は違うような気もします。先日、とある私立学校法人の理事長の方のスピーチを聞きましたが、まるで、つめこめばよいといわんばかりの言い方で、めまいがしそうでした。単に問題を解く能力よりも、感性や個性を伸ばす教育を考える時代が来ているのではないかと思います。
ゆとり教育世代はどう特殊なのか(RAY・パートナー有)
先般の『日曜討論』でしたか、まさに本件についてイー・ウーマン社長佐々木さんがコメンテイターとして発言されていましたよね。全てを見られなかったものの、小さな子どもを持つ母親として、興味深く視聴しました。現在行われている「ゆとり教育」は、導入のそもそもの意図は、子ども達の精神的充実を図るものであったり、教科教育に柔軟性を持たせるものであると理解しています。実際上、どのように運営されているのでしょうか。それは教育現場に拠ってさまざまなようですね。現場の教師らによって創意工夫されている学校・クラスでは、ゆとり教育は奏効していると思います。換言すると、教師の力量次第では、ゆとり教育は効果てきめんというか。ゆとり教育を見直し元に戻したら、子ども達の学力は向上するのでしょうか?もし「ゆとり教育」が子ども達の学力に影響を及ぼす大きなファクターであるとしたら、いまの子ども達は、いわば「ゆとり教育世代」として、何らかの特殊性を持つものと思います。マスコミではマイナス面ばかりが取りざたされていますが、「学力低下世代」と受け取って良いのでしょうか。実際の所、どうなのでしょうね。また、win-win対談での日本マクドナルド社長の経験談、とてもいいお話だと感銘を受けました(特に、円の面積を求める方法。単純に、私もそういうタイプの勉強をしたかったなぁと。そうしていたら、私の人生も変わっていただろうなぁなんて)。小学生時代には、結果よりプロセス重視の学習スタイルを根付かせて欲しいものです。結果を急がずプロセスに重きを置く、これこそ「『ゆとり』『教育』」の根幹ではないでしょうか。

早期教育(ロエ・神奈川・パートナー有・38歳)
NOに投票させていただきました。しかしこれは、乳・幼児期に限ってなのかもしれません。昔よりも現在の方が、乳・幼児期におけるいわゆる教科前教育の分野が進んでいるのは事実です。そのような塾は全国に多くありますし、教材はすぐに手に入れることが出来ます。ベネッセの教材や公文、七田その他など、所得に関係なく月に5千円〜1万円程度で、一般家庭で勉強に関心があれば小さなうちから取り入れることは可能です。むしろ、むかしの方が高所得の子どもしか立ち入れない分野だったと感じております。また個人差は当然あるでしょうが、早期教育で訓練をした子は、学校に上がっても勉強がすんなりと入ってきやすい、という統計もあるようです。早い子は5、6歳で小学3年生くらいまでの読み、書き、そろばん、その他の知識を身につけている子も多くみかけます。私たちが子どもの頃は、幼児期から勉強の習慣をつけるという子どもは殆どおりませんでしたし、そのような教材や塾も特別な子以外は入っておりませんでした。そういう観点から見ると、子どもの学力はあがっているのではないでしょうか?逆にあがってくれなければ、親が一生懸命時間とお金を費やしていることは無意味だと言われているようで悲しくなります。
勉強だけではない学習を(梶本洋子・東京・パートナー有・51歳)
学習する習慣が、どんな仕事をする上でも大きなプラスになると、私は考えています。問題は何を学習するのかなのだ思います。少子化は子どもの頃から競争心を芽生えさせることは少ないかもしれませんが、少子化だからこそできる教育もあるのではないでしょうか。いわゆる勉強だけが、学習する手段ではないと思うのです。将来自分がどう生きていけばよいのか。自分は何に向いているのか。勉強することなのか、運動することなのか。もの作りが好きなのか。コンピュータが面白くて仕方ないのか。もっと選択肢があっても良いのではないかと考えています。
子ども世代の方が長けていることも(miyuma・パートナー有・41歳)
私は、偏差値教育の真っ只中で育った一人です。自分の子どもと比較すると、私のほうが個人的に与えられたものをこなす根気はあると思います。しかし、彼らのほうが、皆でひとつの事柄を話し合いまとめあげプレゼンをするといった力は、我々よりたけていると思います。ここ3年ほどの「ゆとり教育」では、欲をもって知識を身に着け、訓練によってそれを自分のものにする時間がとれていないと思います。だから陰山先生や斉藤孝先生が注目されるのではないか。先生方によれば、そうした時間をつくるのは工夫次第でそれほど難しいことではないと思われます。そして学力をつけるのに最も重要なことは、親が安心と睡眠とまともな食事を子どもにあたえることだと自らを戒めながら思います。