
より多くの人が、快適に暮らせるように(カルルン・大阪)
少なくとも、バリアフリーな人であろうと心がけています。バリアを築くことで、個人的には、安心感が得られることもあるかもしれないけれど、バリアをなくすことで、たくさんの人が快適に暮らせて、お互いの関係も良くなると思います。心のバリアを取り除くことも重要ですが、実際の生活でのバリア、たとえば段差や階段、使いにくい機械、器具などを改良することは、全ての人にとって、重要だと思います。
パラグライダーに挑戦(らぶりーようこ・兵庫・パートナー無・42歳)
私の子どもは障害をもっています。そのためにいろいろな差別をうけてきました。でも私の天使は知的なことが少し遅れているだけ、個性だと思うんですね。日本でパラグライダーを親子でしようとしたら、できませんでした。でも、海外では、全然平気、上手だねとほめてもらいました。これが本当のバリアフリーだと感じました。
エジプト旅行を通して学んだこと(みんつ・愛媛・パートナー無・37歳)
バリアフリーになりたい人です。今年、エジプトへ行きました。子供の頃から憧れのピラミッドが見たかったからですが、行くと決断するまでに悩んだのはイスラム教への偏見と恐怖が自分の中にあったからでした。アメリカとイラクとの戦争とそれを報じるメディアは、イスラム教への漠たる恐れとバリアを私の中に作っていたのです。行ってみれば、現地添乗員はイスラム教徒、サポートはキリスト教徒、日本からの添乗員は仏教徒と異教徒が同じバスで仲良く移動。エジプトでは同じアパートに宗教関係なくキリスト教徒もイスラム教徒も住むそうです。仕事をしながら祈りを欠かさないイスラム教徒の添乗員さんには額に祈りダコができていました。彼からイスラムの教えや習慣を聞くにつれ、知識不足からくる誤解がどんどん解け、バリアが解けるのを体感した旅になりました。同行者が日本から持ち込んだカップラーメンをプレゼントしようとした時、日本からの添乗員さんが「豚骨スープはイスラム教徒の人に渡さないでください。キリスト教徒は大丈夫。イスラム教徒の人に食べ物を渡す時には豚が使われていないかどうか注意してください」と教えてくれました。相手の習慣をよく知って、よく尊重することでバリアフリーになれるのだと思いました。

自分の自信のなさから(KOZUE・パートナー有・37歳)
バリアフリーな人になりたいです。自分を守るために壁を作ってしまっている自分に気がついてはいるものの、そこからなかなか出られません。それは自分に対する、自信のなさからなのではないかと思っています。バリアフリーな人になれたら、世の中もっと生きやすいだろうと思います。そうなれるために、「自分を磨く」ように心がけています。
お嬢様育ちの母と、苦学した父(あきんぼ・東京・38歳)
そうでありたいと思いますが、実際は違うと思います。自分の母と比較するとYESだけど、父と比較するとNOです。お嬢様育ちの母は、自分の知らない世界との間に壁を作り、一方で、ろくに学校にも行けず苦学した父はどんな人とも肩書きや見た目を気にせずに自分の判断でつきあいます。そんな父を見習いたいけれど、大学を出て有名企業で働く自分は、無意識にバリアのある人になっているような気がします。
プライバシーとのトレードオフ(ガク・兵庫)
そうありたいと思っていますが、自己評価は厳しく「NO」です。しかも人よりバリアは、固いかもしれないです。傷つきたくないという気持ちや、既成概念、世間体、人の目などが気になり、いつの間にかバリアを高く高くしているような気がします。そして、そうありたいと思っているくせに、バリアフリーな人を見ると、「警戒しなくて大丈夫? そんなに無防備でだまされない?」と、言ってしまったり……。そんな私でも、たまにバリアフリーになれることがあって、その時はとっても気持ちがいいって事もわかっているんですけど、なかなか難しいですね。プライバシーがあることと、バリアフリーなこと、もちろん違うと思うのですが、フリーにしてしまうと、プライバシーがなくなるような気がしてます。