
自分に何ができるかを考える(3music・東京・パートナー無・26歳)
確かに地元では、人はもちろんまちづくりに対してもバリアフリーは盛んですので自分ではバリアフリーのつもりでいます。私は高校時代にインターアクトクラブにて世界の情勢を学んだ経験があります。それまでの私は世界に偏見を持ち、今思えば無意味なバリアを張っていました。大切なことは、現状がどうのこうのよりも、人を知ること・社会を知ること・世界を知ること、そしてその中で自分は何ができるか考えることだと思います。そうすることで、バリアフリーになれると思っています。
一人一人の心のバリアフリーを(スロウ・東京・パートナー有・26歳)
そうありたいという願いも込めてイエスです。私は、看護師をしていますがやはり職業柄、心はいつもバリアフリーでいたいと考えています。病気の方に接するときは心も穏やかでいることは当たり前のようにできるのですが、やはり日常生活になると自分のキャパシティの狭さや余裕のなさからバリアフリーでい続けることができません。今、バリアフリーは社会にも受け入れられつつありますが、当たり前になるように受け入れられることを祈ります。みんなが平等な社会ができるためには、一人一人の心の中のバリアフリーが必要不可欠だと思うので。
「どれも正解」と思えるように(ayaPa・神奈川・パートナー無・29歳)
バリアフリーな人になりつつあると思います。私は5人の役員の秘書をしています。皆さん、同じ会社で似たような仕事をしているのに、まったくやり方が違います。もちろん、私が考えるベストの役員の仕事の仕方とも違います。それぞれの顧客満足にかなえていくのは大変難しいです。最初はよかれと思ってしたことでも、迷惑をかけたり、それほど感謝されなかったり、で、合わせていくのが難しかったし、また、役員さんのやり方に抵抗を感じることもありました。でも、3年秘書を続けて、どれも「あり」なんだと思えるようになってきました。どれも正解。多少のやり方の違いには、融通を利かせて私が合わせていけるようになりました。そういう意味で、寛容になったし、誰とでもやっていける、いろんな人がいて良いんだという気持ちになれるようになりました。
ボランティアグループで、偏見と向き合ってきました(てるっち・大阪・パートナー有・34歳)
バリアフリーな人になる……。それは難しいことに感じるかもしれませんね。でも私はあえてイエスです。これは完全にバリアフリーな人と言う意味ではなく、そうありたいと日々思っているからです。過去、ボランティアグループに所属し副会長までさせていただきましたが今の世の中のバリアの高さには何度悔しい思いをした事でしょうか。まずボランティアと言う言葉自体に対する誤解を説く事からはじめないといけませんでした。障害を持っている方々への偏見。ご老人への偏見。住んでいる地域への偏見。本当に色んな偏見とも向き合ってきました。自分自身の中にある偏見とも……。いつかもっと自然な中で人々が気持ちよく生き続けて行ける世の中になるように私にできることをこれからも考え、実行していきたいと思っています。