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今週のテーマ会議番号:2731
臓器提供、本人同意はなくてもいいと思いますか?
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5日目/5日間
働く人の円卓会議
1位
【開催期間】
2009年05月25日より
2009年05月29日まで
円卓会議とは

ぬで島次郎
プロフィール
このテーマの議長
ぬで島次郎 東京財団研究員
円卓会議議長一覧
最後までたくさんの投稿、投票をいただき、ありがとうございました。 いま国会では、移植法改正を巡って、……
議長コメントを全文読む
4日目までに届いている投稿から...
月曜:1日目(テーマの背景) 火曜:2日目 水曜:3日目 木曜:4日目 金曜:5日目(リポート完成)
yes 延命は誰のため (kei-italy・イタリア・パートナー有・36歳)
私は本人同意なしで臓器提供が行われても、家族の同意があればいいと思います。それで別の命は本当に救われるかもしれないのですから。身近な人を病で失った経験から「延命」は残される人の為なんじゃないかと思うようになりました。延命を願うのは、死の淵で苦しんでいる患者ではない、ということです。また臓器提供を日常的に考えている人はまだまだ少なく、同意の意思があってもカードを所持してない人はたくさんいると思います。

yes 移植で助かる命があるなら (soo_007・茨城県・パートナー有・43歳)
現時点では残念ながら、細胞から各臓器をつくる技術はありません。でも、臓器を移植する技術はあります。臓器移植でしか回復しない人が元気になるのには臓器移植をするしかないのです。少しでも助かる可能性があるのならば、できる限り移植の機会を多く確保できるようにしてあげたいと思います。ただ、本人の同意がない場合、家族だけの決断はあまりにも負担が大きいです。そこで家族+第三者の判断と言うのが一番現実的ではないかと思います。

no 家族なら提供 (ポーチュラカ・福島県・パートナー無・41歳)
私は臓器を提供する立場に立ったとしたら、きっと「家族」に限ってのことになると思います。臓器提供カードには、「提供しません」としるしをつけていますが、たとえば姉が腎臓か肺をひとつわけてくれと言うなら、すすんであげたいとは思います。それは家族が私の人生の一部だから。私の臓器と等しい価値をもっているからです。

no 自然淘汰を私は選ぶ (ぴょこん・神奈川県・パートナー有・37歳)
厳しい意見かもしれませんが、「死」を避けすぎていると私は思います。移植でしか救えない命は、自然界の掟では淘汰されてしまうのです。自分の子どもがそうだったら、どうするのか?と言われても自然淘汰を私は選ぶと思います。(当然、夫にも聞かなくてはいけません) 臓器移植は知恵を得た人間の勝手な行為だと思っています。これが、他者から「人でなし!」と言われても、です。「死」をどう受け入れ消化していくかも人間の課題なのではないでしょうか。

no まずは命についての話合いを (Faith・東京都・パートナー無・30歳)
「自分の体の隅々まで、頑張って生きてる。体が小さくても大きくても、命は大切」そう子どもたちには思って全ての命を大切に思って欲しいです。そう考えると、組織ならいいけど臓器はダメというのはおかしいですね。臓器が誰のものかという問いに対しては答えが出ません。自分が臓器が誰かの役に立つのなら差し上げたいです。でも家族と話し合って同意が得られている事が前提。。家族は社会の最小単位ですから、まずその家族とじっくり話してみることが、私たちには欠けているような気がします。

no 仏様 (しまうまぴょん・京都府・パートナー有・42歳)
今まで父と祖母を看取りましたが、体は冷たくなっていてもそこにいるのは紛れもない家族であり、かつまた「仏様」の姿でした。物言わぬ体はだからこそより一層尊い感じがしました。家族の臓器を提供できるかと考えた時、仏様の体にメスを入れて傷つけるなんて、とすごい抵抗感があります。臓器でも骨でもそれは一緒です。脳死だからはい臓器、とはとてもいきません。行き過ぎた執着は不幸、という投稿がありましたがまさに同感です。

no 残り一秒であっても命は尊い (tulip・福岡県・パートナー有・37歳)
体は命が宿る器だと思います。そして、体は骨、肉、血、臓器などなどからできています。人間には自分の命であっても、たとえ残り一秒であっても作為的に絶つ権利はないと私は考えます。命は授かったものです。もはや会話や生産はできなくても、尊く、社会の役に立つものです。脳死は、体の一部の機能低減ではあっても、体全部が死んだ訳ではありません。でも、臓器を取り出すと、完全に死んでしまいます。この点で、完全な死後の移植や、生体肝移植などとは、根本的な違いがあると考えます。

no 死を受け入れる (Pururu・東京都・パートナー有・48歳)
「皮膚でも心臓弁でも、心臓や肝臓と同じだと思いませんか?」その通りだと思います。小さな子どもが死んでいくのは本当につらい。考えただけで身を切られる思いがします。でも、とことんまで手を尽くさないと、医療と言えないのでしょうか。死んでいくこと、死を受け入れること、そんなことを一緒に考えてくれる医者や医療が本来は必要なのではなかと思うのです。裕福な人だけが、もっと考えると人間だけがと、その人の生死観にかかわる大変深い問題だと思います。

no 大人でも難しい決断 (ORYUパートナー無・)
家族の死を経験しましたが、その際病理解剖を行うかどうかについて、遺された家族間で意見が相違しました。やはり身体にメスを入れるということは、逝ってなお苦しめることを避けたい思い、そして原因を科学的に知りたい思いの板ばさみになり、納得するのに時間が掛かりました。もし、臓器提供ということになったら、もっと混乱する事になると思うのです。でも、提供者とレシピエントの双方が納得できる医療のため、もっと時間をかけて多くの方向から検討する必要があると思います。

no 臓器移植を考える時 (smile・兵庫県・パートナー無・40歳)
臓器移植を考える時、そもそも人の寿命を人間が操作してよいものか?と考えてしまいます。特になんの信仰もないのですがそう思うのです。自分の周りに臓器移植を必要とする人がいないから、と言われればそれまでですが、移植後、頂いた方の生前の生活が見えたりする人もいると聞きます。人間が神の領域を犯しているのではないのかな、と思います。この投稿が今回のテーマに外れていましたら申し訳ありません。

no 臓器移植自体が疑問 (LoveAndPeace・千葉県・パートナー有・33歳)
何故、他の方の臓器を使用してまで生きながらえる必要があるのか、私にはどうしても理解できません。生体からの移植はまだわかるのです。身近な方を助けたいと言う気持ちの現われでしょうから。また、生体移植は提供者の全細胞が死滅する訳ではないというのも大きいです。でも、脳死の方からの移植はどうしても抵抗があります。心臓の細胞は生きているのに! いずれは細胞も死滅するかもしれませんが、人為的に早めるように感じて抵抗があります。

no 臓器として生きるということ (BUNBUN01・長野県パートナー有・)
日本の臓器移植医療には重い過去があります。最初の和田教授による心臓移植に疑惑があったために、移植医療そのものが信頼を失いました。脳死診断についても、アメリカで脳死と診断され、移植寸前までいった方の意識が戻った例もあります。脳死の基準は厳格にし、脳幹が完全に機能していないと確認されなければ臓器を取るべきではないでしょう。また、個人の死生観を無視することは出来ません。移植後も臓器として生きたくないという感覚の方も居ることは無視してはならないと思います。
5日目の円卓会議の議論は...
月曜:1日目(テーマの背景) 火曜:2日目 水曜:3日目 木曜:4日目 金曜:5日目(リポート完成)
生きている人から臓器をとっていい?
最後までたくさんの投稿、投票をいただき、ありがとうございました。
いま国会では、移植法改正を巡って、脳死後の臓器提供に本人同意はなくてもいいかどうかが問われています。しかしそれをいう前に、脳死と臓器移植そのものに疑問や抵抗があるとのご意見を、ぴょこんさん、しまうまぴょんさん、smileさん、LoveAndPeaceさんはじめ多くの方からいただきました。いくらよその国ではたくさんやっているといわれても、命の根本に関わる実感をおろそかにしてはいけませんね。

そのなかで、ポーチュラカさん、tulipさん、LoveAndPeaceさんから、生体移植ならまだわかる、という趣旨のご意見をいただきました。その点にふれて、議論を締めくくりたいと思います。

WHOは、脳死移植の推進を勧める一方で、生体移植を規制し、生きている臓器提供者を保護するルールづくりを求めています。生体移植のほうが、取引や強迫が絡む「移植ツーリズム」の温床になりやすいからです。そもそも生きている人に、その人の治療目的でなくメスを入れる行為は、「害をなしてはならない」という医の倫理の基本に反する恐れがあります。そのため欧米では、移植法に厳しい規定を設け、生体移植を少なく抑えています。

それに対して日本は、世界一生体移植の割合が多い国です。腎臓移植の8割以上、肝臓移植の99%近くが、生きている人からの提供です。ところが昨日ふれた人体組織と同じく、日本の移植法には、生体移植について何も規定がありません。

私は、生体移植を野放しにして安易にそこに依存できる現状こそが、日本で脳死移植が増えない本当の理由なのではないかと考えています。提供者の生命と健康を保護するために、生きている人から臓器を摘出してよい条件を移植法で決めて一定の制約を課さないと、脳死移植に集中すべきエネルギーが生体移植に流れてしまうだけでなく、国際社会の求めに応じた責任も果たせないと思います。

いま国会に出ている4本の移植法改正案のうち、1本は生体移植の規定を新設するよう提案しています(昨日紹介した人体組織の規定を入れている1本と同じものです)。しかし脳死は人の死かという議論に隠されて、生体移植の問題は重要さが十分に理解されず、ほとんど議論されていません。
脳死になった人だけでなく、生きている人からの臓器の提供にも、法律できちんとしたルールが課されるべきではないでしょうか。
 
一週間、熱い議論をしていただき、どうもありがとうございました。
国会では移植法の改正審議が進んでいます。みなさんも、どうぞご自分の選挙区の議員がこの議案にどう対応するか、注目していただければと思います。

ぬで島次郎
東京財団研究員
ぬで島次郎


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