
上位者とそうでない者の評価が顕著になり
(asmic777・パートナー無・29歳)
一億総中流意識の概念が崩れ始めているように感じます。終身雇用が期待できなくなっている今、また不況が続く中、企業も必要でない人材を雇っている余裕はありません。資本主義の世の中で、これは当然のことだと思います。上位者になるためには、何か一つ突出したスキルを身に付け、自らを売り込んでいく必要があると感じます。こうした不況の世の中が、上位者とそうでない者の評価を顕著にした結果、貧富の差を拡大させたのではないかと思います。
教育の現状が貧富の差を拡大する
(ミニミニ・兵庫・パートナー無・31歳)
一般企業においては、少しずつ学歴偏重主義が減り、実力主義が取り入れられてはいるものの、まだまだ、一般的に良いといわれている大学を卒業した人のほうが、医師や弁護士など、高収入の職に就く確率が高いです。もし、自分に子どもがいて、その子が弁護士になりたいといった場合には、子どもを、偏差値の高い大学に入れることになるでしょう。
このご時世、子どものころに同じ能力の子が2人いたとすると、大学入試を視野に入れた私学の進学校に進む場合と、普通の公立校に進む場合で、明らかに進む道が異なります。私学にはかなりのお金が必要になりますので、高収入な家庭でなければ、なかなか厳しいところでしょう。そういう意味もあって、高収入の家庭に育った子のほうが、高収入な職に就ける確率は高くなると思います。現在の貧富の差は、「公立校のゆとり教育」と「私学の大学入試を視野に入れた教育」の分、さらに拡がっていくように思われます。
今の生活は努力の賜物
(mamigo・海外・パートナー無・35歳)
肌で感じることは少ないですが、徐々に進行しているかな、とは思います。身近で(日本で)「豊か」な暮らしをしている人たちの多くは、バブルの時代にも派手でなかった代わりに、懸命な努力と堅実さで着実に社会地位や財産を築き上げて、今を迎えているように見えます。その人たちにとってみたら、今の生活は努力のたまものであり、当然のこととして享受していいものでしょう。そして、お金は苦労の見返りであり、使い方にも真剣で無駄がないという感じがします。
これからの日本がどうなっていくのかは、どんな家庭教育を親がし、その結果どんな子どもが育っていったか、であって、家がお金持ちだったかどうかは別の問題だと思います。「子育て=社会を担う人間を世に送り出す」ということを忘れている親が多いのではないでしょうか。貧富の差を拡大させないためにも、あらゆる面で「豊か」になれる社会を築くことを、みんなで願っていく必要があると思います。
昔と今と「貧富」の内容が違う(ニューパーツ・千葉・パートナー無・31歳)
仕事柄、高額ぜいたく品の販売をしているので、いろいろな方をお見受けします。本当にお金(資産)を持っている人と、資産や収入に不相応な買い物をして、自己破産する人と、お金を運用する自覚差で貧富が出てきている気がします。おそらく一昔前の日本では、それぞれが自分に相応な生活をしていたと思います。だから、昔と今と「貧富」の内容が違ってきているのではないでしょうか?
運と縁と実力と努力を伴う人が成功する社会(はるたいママ・東京・パートナー有・33歳)
終身雇用がなくなり、実力主義を採用しようとする風土が少し強くなってきたので、日本もだんだん共産主義的発想から、多少なりとも資本主義的に変わってきているのだと思います。浅井さんの、「どこでこんなに差が出たのだろう」というコメントをおもしろく拝見しました。つまり、大学を出るころまではみなほぼ同じような状況だったのが、どういう意思決定をして人生を選択するか、で先々にはとてつもない差になるわけですよね。
東証一部の会社は倒産しない、という神話があったころは、上場会社に入社さえすれば一生安泰だったわけですが、4大証券、メガバンクまでもが倒産した今、どういう選択をしたのか、に伴う結果の差、である貧富の差は拡大していると思います。年収300万と1億の層に分かれる、とまでは思いませんが、運と縁と実力と努力を伴う人が成功していく社会が実現できるのは、フェアだと思います。
ハングリー精神のあるなし(megamixweb・東京・パートナー有・34歳)
自分の体験や、うちの会社に応募してくる子たちの傾向を見るに、幼少期に貧しい生活を送った人ほど、お金と仕事に対する執着が強いように感じます。逆に親に何でも買い与えてもらえる中流以上の家庭に育った人は、応募動機なども非常にライトかつ中途半端で、本当に仕事がしたいのか? と思うこともしばしば。そのような人は当然のごとく、ずっと正社員の職にも就けず、事業も起こせず、フリーターを続けることになります。正社員とフリーターの生涯賃金の差は1億円を超えますから、これでは悪循環ではないでしょうか。現在の貧富の差の本当の原因は、ハングリー精神のあるなしなのではないか、とも思えます。
心の豊かさが先(ルディ・東京・パートナー有・43歳)
お金の豊かさだけでなく、心の豊かさの差も拡大していると思います。お金はあるけど、心の貧しい方とは、お付き合いしたくないし、逆にお金持ちではないけれど、清貧というか、自分の生活に誇りをもって暮らしている方には、豊かさを感じます。お金だけが豊かさを表すものではないと改めて思います。自分としては、心豊かに、それを保つために必要なお金があればいいなと思います。それが、豊かということだと思います。まずは、心の豊かさが先ですね。
必要とされる人材は限られている(ミツチ・東京・パートナー無・40代)
給与所得者の中でも、時代のちょっと先を読める人と読めない人、時代に合ったニーズのスキルを持つ人と持たない人で、大きく差が出ています。経営者が負の人材を不要と思う以上に、負の人材は会社で働くものからはっきり不要と思われるわけです。失業者が多くても人材は不足しているように、必要とされる人材は限られていると思います。ここでまず格差が出るでしょう。また、若者を中心としたフリーターも社会の低所得者層創出の一役を担っています。社会構造は今後今まで以上に、一億総中流から二極化へと動いていくと思います。
情報の貧富の差も感じる(イクラ・東京・パートナー無・41歳)
終身雇用制も崩壊し、働いて収入を得たいと思ってもそれが叶わない現実が身近になり、みんな少しずつ不安を抱えています。その中で弱肉強食的な考え方が強くなってきたように感じ、裕福な人はより多くの富を欲するような、競争社会になっている気がします。金銭以外でも情報の貧富の差も感じます。誰もがインターネットしているように言われていますが、本当に使いこなせている人がどのくらいいるのでしょうか? 集から個へ変わりつつある日本では、さまざまな形の貧富の差が拡がっていくように思います。
日本が本当に豊かな国といえるのか(しろりむ・三重・パートナー無・36歳)
年齢的にもそろそろ年収に差が出始めるころなので、お金を儲けている人とそうでない人の差が広がっていることはよく感じます。しかし、お金があっても時間がなくてそれを使えない人もいるし、お金というのは一つのファクターに過ぎないと思います。
貧富の差というテーマを考えるとき、富めるかそうでないかということは、もうすでにお金という単一の尺度で測ることができなくなっているように思うのです。名誉や地位や学歴、豊かさの基準は人それぞれです。精神的なものを豊かさの基準にしている人もたくさんいます。さらにいえば、借金に借金を重ねて裕福な生活を維持することが果たして富めるといえるのかどうかも疑問です。その意味で、日本という国が本当に豊かな国といえるのかどうか、再考の余地があると思うのです。

貧富の差とはいえない
(クオ・北米・パートナー有・36歳)
Yesボタンを押すのに、躊躇(ちゅうちょ)してしまいました。収入、子どもの数、学歴などによって生活レベルの差はもちろんあると思います。けれども、日本の場合、特殊なケースを除いて、貧富の差とはいえないように思います。毎日の食事ができて、帰って休む場がある。豊かさの中で差異をつけたがっているだけのように感じてしまうのですが。隣り近所や親戚で助け合っていたのは、過去のことで、日本に「欧米並みの貧富の差」が生じてくるのなら、福祉を充実させるためにもっと税金を上げていくべきでしょう。欧米には少なくとも宗教的な博愛精神と、持てる者の責任感があるように思います。やはりわたしはあえてNoを選択します。
以前は国に守られていた
(wakano・岡山・パートナー無・34歳)
明かな拡大は実感としてないです。しかし、以前は保険や税などの面で、もっと国に守られていることが多かったかもしれない、という気はしています。
心の“豊かさ”と“貧しさ”
(risen・パートナー無・34歳)
物を所有するという点と生活できる点に関しては貧富の差というのはないと思います。働いていれば、家だって、ブランド品だって宝石だって、車だって買えるし。それにまだ安全なんでしょうね。路上の方だって生活できているし。ただ、心の「豊かさ」と「貧しさ」に関しては二極分化しつつあるような気がしています。こちらのほうが大切だし、心配です。
長期的か、一過性か(月の猫・神奈川・30代後半)
一口に欧米並みと言っても、税金などの仕組みが違うので、簡単には訪れないと思う。たしかに貧富の差の拡大はあるが、それが長期的に続くものなのか、バブル期のような一過性のものなのかも不明。最近の新聞の世論調査で親世代が「子どもにお金を残さない」という選択をするようになったという話もある。そうであれば、子どもに譲る予定だったお金を消費しているだけの一過性の景気回復のような気もする。