
生徒を笑わせるような授業を
(しろりむ・三重・パートナー無・35歳)
塾の講師を10年以上やってきました。教えるということはかなり直接的に人間にかかわる仕事なので、ストレスもありますが、「やりがい」も感じやすいと思います。それでもときどきは自分の仕事に自信をなくし、はたして自分は本当に他人の役に立っているのだろうか、と不安になることもあります。
そういうとき、わたしは、できるだけ生徒を笑わせるような授業をしようと努力してきました。生徒を笑わせたところでどうなるわけでもないのですが、ともすると勉強嫌いになりがちな生徒が、すこしでも学ぶ楽しさを感じてくれれば、まずはそれで十分だと思うのです。勉強嫌いにさえならなかったら、いつの日か、きっと、生徒たちは学ぶことのすばらしさを知るだろうと信じています。そしてその日のための下準備をするのがわたしの仕事=わたしの社会貢献だと考えています。生徒を楽しませることが社会貢献だなんていうと笑われそうですが、でもそういう些細なことに自分の仕事の意味(価値)を見つけていかないと、実際、なかなか仕事は続けられないと思うのです。
税金や年金、保険料を納めること
(diem・東京・パートナー有・35歳)
仕事を通じての社会貢献といえば、働いて税金や年金、保険料を納めることではないかなと思ってます。税金があるから国の事業や地方自治体の仕事も成り立つわけですし。年金や保険料もしかりでは? そう考えると月々税金などがしっかり引かれているのを実感しているので、「貢献を実感」になるのかなあと思いました。個人で勝手にやっていることといえば、寄付でしょうか。自分自身には医学の知識はなくとも、医学の知識のある人に医療をまともに受けられない人の元へ行ってもらう。これは資金あってこそ成り立つものですよね。健康で働いているものとしての社会貢献は自分のためだけに給料を使わないことではないかなと思います。もちろん会社の収益を不当な方法で得ていないことはいわずもがなですが。
相手の立場になって仕事をする
(パレアナ・東京・パートナー有)
大槻さんのコメントの中にあった、「自然と貢献したくなる人間関係、職場、社会で暮らしていますか?」という質問については、残念ながらNOです。それぞれのコミュニティーの中で、自分本位で行動している人がいると、全体がそちらに流され、社会への視点が抜け落ちてしまうのです。「自然と貢献したくなるコミュニティー」は、誰かが作ってくれるのではなく、自分が主体的に作るものではないか、と思います。なかなか難しい作業ですが、職場ではすすんで相手の立場になって仕事をすることで、内外の方々に感謝されるようになってきました。うれしいことです。この経験から、黙々と努力を続けている人たちにできるだけ感謝の言葉をおくるようにしています。NPOで活動されている方、企業の方、職場のビル管理の方、お店の方など。社会貢献の意識の輪が広がって、暮らしやすい社会が近づいてくるといいですね。
生徒の成長
(べんじゃみん・東京・パートナー有・32歳)
高校教師(国語)という仕事柄、目の前の生徒たちがしっかり自立した考えを持って成長してくれるようになることそのものが社会貢献だと考えて毎日働いています。また、わたしも仕事の傍ら専門分野の論文を書いたりしていますが、最近の日本の大学での人文科学系教育の軽視・削減は本当にはなはだしいです。でも、一人ひとりが充実した研究成果を表すことで、存在意義を示せると思い、あきらめず、腐らずに歩いていこうと思っています。
安全性を考慮した賞味期限に(あるばーと・神奈川・パートナー有・36歳)
わたしも技術系という職種で就職したくちですが、担当は、食品もしくは食品に関する技術開発や、その技術の安全性を確認することなどでした。賞味期限の根拠となるデータを取ることも大きな仕事のひとつで、非常に責任の重い業務でした。
ある商品の賞味期限を決める最終会議に出席したときのこと、「賞味期限を〜とする」との判断がなされようとしたとき、わたしは異を唱えたのです。技術的見地から、その期限内の品質を保証するのにギリギリのデータしかなかったからです。営業側の言い分は「流通上、できる限り長いほうが販売しやすく、低価格で販売できるので消費者にメリットがある」という、価格優先で品質を後回しにしたものでした。食の安全の限界を提供する重要な情報のひとつである賞味期限を、確実に保証できないレベルで販売するという行為がわたしには許せず、断固として反対したのでした。
食を提供するという、責任の重い立場を考えれば当然のことだと、粘り強く強硬に主張し、上司たちは納得がいかない様子でしたが、最終的には「十分に安全性を考慮した賞味期限を設定する」という決定にたどり着くことができました。
末席にいたわたしでしたので、あのときは「ああ、これでこの会社人生が終わった」などと帰り道にあれやこれやと考えたことを覚えています。しかしあの後、この決定が業界に石を投げることになり、会社の判断が大きく評価されたのでした。技術者として、「ちょっとだけ社会に貢献できたかも」と実感できた、初めてのことでした。
自分の役割を果たすこと(saesae・神奈川・パートナー有・32歳)
仕事でお付き合いのある方々(同僚、関連会社の方、お客さま)を喜ばせる仕事をすること、報酬から一定の税金を払うこと、育児を仕事と考えてもいいのなら、子どもを育てることによってできる社会貢献のいろいろ、が仕事を通じてできていると思われる社会貢献です。どれも非常に当たり前のことですが、まずは自分の役割を果たすことが社会貢献につながると考えています。
間接的な貢献もある(ちかつ・千葉・パートナー有・45歳)
仕事を通じて社会貢献する。これは非常に重要なテーマだと思います。仕事に対する自分の価値観にもよりますが、おそらく多くの人が望んでいることではないでしょうか。ただ、組織人の場合、現実はなかなか難しいのも事実では?
たとえば、顧客と直接接触する機会があるスタッフであれば、時にはその実感も持てると思いますが、バックヤードの仕事では、なかなかその感覚はつかめないようですね。その企業、組織の手がけていること(物)そのものが、社会貢献とかかわりが深ければ、また別ですが。
ただ、どのような仕事でも人に感動を与えることはできると思うのです。ある人の働き方を見て、あこがれを抱き、「わたしもああなりたい!」と目指し、活躍する人は多いのではないでしょうか。間接的ではあっても、このような社会貢献もあると思うのです。
結局は自己満足のために働いているのか(siluku・京都・パートナー無・28歳)
わたしは「肺移植コーディネーター」という仕事をしています。職業上、仕事=社会貢献でしょうか。わたしが働く、動くことによって、1秒でも早く、脳死移植の登録ができたり、生体肺移植ができたり、ということがあり、直接、患者さまの生命にかかわってきます。そう思うと、どんなに忙しくても、自分の時間を削ってでも頑張ることが多くなります。ただ、それが評価されているかはまったく別です。患者さん、社会、はもちろんのこと、同じスタッフでさえ評価されていないように感じます。結局は、自己満足のために働いているのかな、と思うこともしばしばです。でも、やっぱり、患者さまの生命にかかわってくることなので、いつでもできる限り頑張っています。
現在、日本では移植コーディネーターという職業は確立されておらず、待遇は厳しいのが現状です。せめて、バイトに行かなくても生活ができるくらいになれば、と切実に思います。ちなみに欧米では必要性も理解され、収入もハイクラスです。
人材をコーディネート(イスタンブール・関東)
人材会社で仕事をしていたときは常に社会との接点を感じていました。仕事を求めてくる方々と人材を求めている企業とのコーディネートですが、社会の現実や個人の事情を理解できなければ、ただの受付で終わってしまいます。今の社会で、今のその方のスキルが、どう活かされるのがいいのか、その企業が社会の中でどのような位置付けなのか、考えなければいけないことは尽きませんでした。難しいことですが、何かつかめるようになると企業へ人材のご提案ができたり、個人へキャリアデザインの提案ができたりします。社会の動きと人の心を知るには、知りたいと思う気持ちが一番大切なのだと思っています。

パワーをもらっている
(リリア・愛知・34歳)
職場では、日々笑顔で、楽しさへの追求をしています。そんな中、仕事関係の方から音楽関係のことで依頼があり、ボランティアライブもやるようになりました。反対にこちらがパワーをいただいてる感じです。ここ2年、社会貢献について意識し始めましたが、わたしなりにできることをさらに掘り下げて勉強し、社会に役立っていけたらと思っています。
全体像がはっきり見えず(remy・東京・パートナー無・29歳)
直接的に社会貢献をしている、と実感できるような体験は残念ながらまだありません。ただ、自分がかかわっている仕事と社会とのつながりが、全体像としてはっきり見えていない状態だと思うので、もしかすると、どこかでつながっているのかもしれません。それを実感できるといいのですが。
どんな学問にも意義があると信じ(veronique・パートナー無・30歳)
人文科学系の研究職を目指して勉強中の身です。大学改革が進むなかで「世の中に役に立たない」学問は切り捨てられていく傾向にあります。自分の将来を不安に思いながらも、でも、一見役に立たなさそうな学問でも、何か存在意義はあると信じていたいです。