
「家が貧乏だからママは働きに行くよ」と伝えた(tokotonbo)
身体的都合でこの3月に退職してしまいましたが、わが家の二人の子どもたちは、生まれた時からずっとわたしが働いていたので、家ではそんなものだと思っていたと思います。ただ下の娘が3歳くらいのころは、出かける時にしがみつかれ、大泣きされて大変でした。ある時期を過ぎたころから、すんなり「いってらっしゃい!」と送り出してくれるようになったので、あきらめがついたのでしょう。
最初のころは本当に家計が苦しく、働かざるを得なかったので、子どもたちには「家が貧乏だからママは働きに行くよ」と言っておきました。でも、二人とも小学校高学年になるころには「貧乏ではない!」と認識したそうです。でもそのころには働いているのが当たり前になっていたので、もう何も言いませんでした。
「子どもを育てるお手伝いをしているよ」と伝えている(まりい・大阪・38歳)
子育て支援の仕事をしています。小学3年生の娘には、「子どもを育てるお手伝いをしているよ」と伝えています。1歳のおいっ子がいて、時々預かることもありますし、保育園っ子なのでわかりやすいようです。仕事で出会った子どもや、親の話も時々します(もちろん守秘義務の範囲内で!)。学童保育の小学生の援助に困ったときは、彼女に「当事者としての考え」を聞くこともあります。
小学2年生の弟は、「ママは市役所で子どものために働いてるんやな」と彼なりに理解しています。「ママは仕事をしているほうがイライラしていなくていいよ」というのは娘の言葉。ちょっと苦笑してしまいますが……。
お勤めの生活が理解できる程度には働いていてほしかった(tamafish)
わたしの母親はずっと専業主婦で、外で働いたことがありません。お稽古に通うなど、子どもの目から見ても、のんびりと過ごしていた母親のことは好きだったけれど、自分が働くようになってから、あまりにのんびりとしたことを言う母に、イラつくこともありします。わたしのわがまま、というのはよくわかるけれど、普通のお勤めの生活が理解できる程度には働いていてほしかったかも。
働く母を尊敬していた(mituho・未婚・20代)
わたしの母は、ずっとフルタイムで仕事をしています。ヘルプを頼める人もおらず(父も平均よりは家事をしますが、それでもまだまだ)、苦労したと思います。職住隣接の環境だったので、続けやすかったのかもしれません。
わたしが子どもだった約20年前、フルタイムで働くお母さんはとても少数でした。小さいころからお手伝いばかりでしたし、姉と二人で過ごすことも多く、本当に寂しく思っていました。「わたしは家にいるお母さんになる」とよく言っていました。
しかし、就職を考えた時、「ずっと仕事を続ける」ことが選ぶ基準になっており、自然と母の後ろ姿からいろいろ学び、母を尊敬していたのだなあと思いました。ただ、わたしの仕事は休日も深夜も関係ないので、結婚して子どもを育てながら続けられるとはとても思えません。専門性を身につけ、キャリアチェンジが必要だとうすうす感じています。
働く母を責めたことはない(noripi・大阪市・パートナー有り・28歳)
わたしの母は、わたしが子どものころからずっと働いており、今も働いています。母にとって、仕事とは人生の一部なんだと感じます。そんな母を見て育ったせいか、働ける環境にあるならば、一生懸命人生をかけて働きたいと思い、それが当たり前だと思うようにもなっています。
母から仕事について、何らかの説明を受けたかどうかの記憶はないですが、わたしなりに彼女の仕事を理解し、たとえばそのために学校行事などに参加できなかった母を責めたことはありません。母は、仕事に割く以外の時間を、彼女なりに精いっぱい、子どもや夫のために使っていましたから。精いっぱいの愛情を注いでくれたと思います(すばらしく自然に)。親子なら、それって伝わるんじゃないかなと思います。言葉よりも共有する時間の使い方、その中身、では? うまく表現できませんが。
親子の語らいタイムをつくって話しています(mamick・関西・36歳)
来年から小学校にあがる娘がいます。最近、保育園で母親の仕事についていろいろ話すようです。「○○ちゃんとこは看護婦さん(看護士さん)」、「××くんとこは宅急便屋さん」。「ママは?」と聞かれて、できるだけわかりやすく答えようと、「テレビとか作ってる会社で、コンピューターの仕事してるねん」と答えました。返ってきた言葉は「テレビ作ってるん? それって楽しい?」(全然わかってない)「もちろん楽しいよ」と答えました。すると、娘はにっこりして「よかったね」と言ってくれました。
今はまだこれくらいですが、もっともっと「働く・自立する」ということについて話したいし、多様性があることも知った上で、彼女が自分自身で選択できるようになってほしい。いろんなことをどんどん話せる関係を続けていきたいです。あまり時間がつくれませんが、平日のお風呂で、寝る時、休日のお菓子作りや図書館など、何かをしながらの親子の語らいタイムは、最近本当に貴重でかけがえない時間だと感じています。
家族全員が「働いているのが当たり前」だった(くにまつ)
自営業で自宅が事務所と店舗を兼ね、小売もしていたので、朝から晩まで家族全員が「働いているのが当たり前」だった。また、雇用していた社員も何人かいつも居て、「家には人が一杯」の中で育った。
生活は「働く」ことで成り立っていた。商家で育つと「生活」と「働く」ことを切り分けて考えることなど、思いもよらない。「働かないと食べていけない」ことを物心がついたころから体得していたと思う。
「お仕事」という言葉が、ほかの何よりも優先された中で育ちました。ただし子どものころは自宅に帰ると「働く母」が必ず居たので、母が家に居ない寂しさは感じなかった(世話はしてくれないが……)。「母」という対象への賛否ではなく、「働くこと」に対してのとらえ方だと思う。