
母が働くことに対して反対した記憶はない
(kuniwaka2001・神奈川・既婚・31歳)
現在子どもがいないのでわかりませんが、わたしが小さいころ、母が働いていたことに対しては反対した記憶はありません。ただ、雷が鳴っている時や、飼っていた小鳥が死んだ時などは、心細くて母の会社に電話していました(小さな建設会社の事務員で、社長の奥さんもとてもやさしい人だったので、融通が利いた)。
でも、小学校の高学年になり、母が帰宅した時にお茶をだしてあげるようになったらとっても喜んでくれ、わたしもうれしかったですね。母がずっと家にいたら、こんなことしなかったかもしれません。
普段見せない生き生きした表情で働く母を見て
(イスタンブール・未婚・30代)
子どものころ、母は子どもたちを集めて習字の先生をしていました。何度かわたしも現場に行き、普段見せない生き生きした表情の母を見て、かなり動揺したのを覚えています。もとから勉強家でキャリア志向だったにもかかわらず、保守的な環境のため断念していた彼女の本当の姿をみた気がしたのです。
祖母も浪曲を弟子をとって教えていて、のぞき見たときは同じようにドキッとしました。祖父の前では見せない、やはり生き生きした女性の顔だったのです。仕事を続けているわたしの原点は、ここにあると思います。
ただ残念なのは、彼女たちは境遇を嘆いたり、家事を嫌々やったりしている印象だったこと、祖父や父はまったく理解していなかったこと。わたしは納得して仕事も家庭も楽しみたいし、そのことを理解してくれるパートナーを選びたいと思っています。
「お仕事頑張ってね」と見送ってくれる子どもに感謝
(Ten)
子どもが賛成しているかどうかはまだ疑問です。というよりも、子どもが生まれる前からずっと仕事をしてきていて、子どもも0歳から保育園にお世話になっているせいか、母親が働いている状態が普通であって、仕事をしないお母さんがいる、ということ自体わかっていないようです。
来年小学校に入ったら、「どうしてお母さんはお仕事してるの?」、あるいは「お母さん、夏休みって何?」などと聞かれるかもしれません。子どもが生まれて途中から働き始めたわけではないので、子どもとの関係は生まれたときから変わりません。毎朝保育園で「お仕事頑張ってね」と見送ってくれる子どもに感謝です。
「夢を持って頑張っている」と伝えたい(ころりーな)
まだ未婚で子どもはありませんが、子どもを持ったときには「お母さんはこんな夢を持って頑張っているのよ。仕事は楽しいのよ」と伝えてあげたい。もちろん、子どものことをハグして愛してあげて。子どものためと自分の人生を生きずに「あなたのために、したいことをできなかった」という気持ちを持ったら、子どもが不幸だと思います。
「働くことが当たり前」と伝えている(仕事の鬼)
小学1年生の娘がいます。母が働くことは「当たり前」と思っているのでYesです。でも、下校時間、体調の優れないときについては、娘は「そのときは母が家にいる」ことを望んでいます。
今日のポイントが「働いていることをどう伝えるか」とありますが、まさに「働くことが当たり前」で「お母さんも働かないと生活できない」と伝えています(100%事実、というわけではありませんが)。まだ子どもは小さいので、それで「納得」しています。子どもがもう少し大きくなって質問してきたら、そのときに応じた本音を話そうと思っています。でも、「働くのに反対」と言われたら、なぜそう思うのか子どもなりの意見を聞こうと思います。
親の愛情を伝えることができれば(おしゃまなうさぎ)
わたしの母は、わたしが生まれる前から働いていて、産休を取れないような状況の中、働き続けながら、わたしを育ててくれました。小さいころは、朝、母が出勤していくのが寂しくて、はだしで母を泣きながら追いかけたこともありました。仕事をやめられなかった母は、「本当につらかった」と言っています。
しかし、物心つくころから、「小さいころつらい思いをさせたから、あなたがやりたいことだったら金銭的にはできるだけのことはしてあげる」とずっと言われて育ったし、実際ずいぶん援助してもらって、大学時代は本当にやりたいようにやらせてもらいました。
さらに、自立している母の背中を見ていたので、自分が専業主婦になるという選択肢はわたしの中にはありません。働くことによる母親の不在が寂しいのはどの子どもにも共通ですが、それでも親の愛情を成長の過程で感じることができ、そういうものを伝えられるワーキングマザーであれば、大丈夫なのでは?と思います。
娘の一言にドキリ(nanachann・既婚)
どちらかと言うと、賛成をしてくれていますが、最近、ドキリとしたことがあります。毎日のように持ち帰り仕事、休日返上が続き、ついつい愚痴をつぶやいた時、中学生の娘からこんなことを言われました。「お母さん! 仕事が嫌だったら辞めれば? 仕事は自分の意思で辞めたり、始めたりできる。だけど、学校は義務教育だから辞められないんだよ。子どもは選べないんだよ」……おっしゃる通り。目が覚めました。
「子どもを育てるお手伝いをしているよ」と伝えている(まりい・大阪・38歳)
子育て支援の仕事をしています。小学3年生の娘には、「子どもを育てるお手伝いをしているよ」と伝えています。1歳のおいっ子がいて、時々預かることもありますし、保育園っ子なのでわかりやすいようです。仕事で出会った子どもや、親の話も時々します(もちろん守秘義務の範囲内で!)。学童保育の小学生の援助に困ったときは、彼女に「当事者としての考え」を聞くこともあります。
小学2年生の弟は、「ママは市役所で子どものために働いてるんやな」と彼なりに理解しています。「ママは仕事をしているほうがイライラしていなくていいよ」というのは娘の言葉。ちょっと苦笑してしまいますが……。
働く母を尊敬していた(mituho・未婚・20代)
わたしの母は、ずっとフルタイムで仕事をしています。ヘルプを頼める人もおらず(父も平均よりは家事をしますが、それでもまだまだ)、苦労したと思います。職住隣接の環境だったので、続けやすかったのかもしれません。
わたしが子どもだった約20年前、フルタイムで働くお母さんはとても少数でした。小さいころからお手伝いばかりでしたし、姉と二人で過ごすことも多く、本当に寂しく思っていました。「わたしは家にいるお母さんになる」とよく言っていました。
しかし、就職を考えた時、「ずっと仕事を続ける」ことが選ぶ基準になっており、自然と母の後ろ姿からいろいろ学び、母を尊敬していたのだなあと思いました。ただ、わたしの仕事は休日も深夜も関係ないので、結婚して子どもを育てながら続けられるとはとても思えません。専門性を身につけ、キャリアチェンジが必要だとうすうす感じています。

母が働くことはNoだった
(stray-rabbit)
自分が子どものころの立場で言えば、母が働くことはNoだったと思います。昼の間ですが、身内ではない人に預けられていたこともあり、何度か嫌な思いもしたし、寂しい思いもしました。でも、仕事を終えて大急ぎで迎えにきてくれた母を思うと、子どもながら嫌とは言えませんでした。
生活のために働くことと、自分が働いていたいという気持ちで働くこととでは、働く目的が違いますし、子どもができたときには、どうするべきかすごく悩むと思います。
幸せだったので、自分も子どもにはそうしたい
(shocoran・宮城・未婚・28歳)
母はわたしが小学校高学年になるまで専業主婦でした。それまでは帰ってくるとホットケーキのいおいがしたし、風邪をひいてもそばにいてくれ、授業参観や運動会は必ず来てくれました。とても幸せだったので、自分も子どもにはそうしたいと思ってきました。
今感じるのは、家にいながら満たされずに、子どもに当たっている母親なら、働いている母親のほうがずっといい、ということです。要は十分な愛情表現ができるか?だと思います。
子どものころはNoでした
(anexile)
子どものころはNoでした。が、それは単に専業主婦の母親による刷り込みでしたね。「あの子は鍵っ子でかわいそう」「あそこはお母さん働いているからお父さんも大変ね」。専業主婦として自己実現ができなかったらしい母のねたみひがみを常に聞かされ続けた身として、今なら、子どもにべったりしないで外に働きに行ってくれればよかったのにと思います。そんな子ども時代でも、「お母さんは〇〇の仕事をしている」と誇らしげに言う級友が、子ども心に格好よく見えたことを思い出します。
仕方なく働いていた母を見て
(agnes・独身・29歳)
わたしの母は専業主婦でしたが、父が亡くなってから働き始めました。毎日家に帰っても母がいないことが、つらくて仕方ありませんでした。今わたしは仕事をしていますが、結婚して子どもができたら仕事を続けるかどうか結論は出ていません。でも、今思うと、母は仕方なく働いていたわけで、自分の意思で生き生きと働いている母であったら気持ちも変わったかなと思います。
本当は「遊んで」って言いたいんだろうな
(月夜海)
わたしは自宅で音楽教室(フルート)を開いています。といっても、出産や育児のために生徒を一時期手放したので、とても少人数です。本当は独身時代のようにプレーヤーとしての活動をしたいので、ここ最近活動の幅を広げつつあります。
そんな母親なので、生徒さんが帰った後も自分の練習をしていることが多いのです。すると次男(4歳)が、そっとレッスン室に入ってきて、ピアノのいすを練習中のわたしの譜面台の前に持ってきて、おもむろにいすの上に立つのです。そして指揮をし始めるのです。邪魔をしているのではなく、一緒に音楽しているのだと言いたげに。本当は遊んでって言いたいんだろうなと思うと、わたしは子どもたちにやっぱり申し訳なく思ってしまいました。
働いている母を理解できなかった(nanachin・オーストラリア・独身・26歳)
わたしが中学生のときに、母が働き始めました。母は夕食の用意を簡単に済ませてから仕事に出ていたので、わたしは母が帰ってくるまでに、夕食を温め直したりご飯を炊いたり、という簡単なことをする程度で済みました。
でも、ある時母は仕事の疲れから、わたしの夕飯の支度の仕方に文句を言いました。仕事によるストレスからわたしに文句を言っている、ということがわかったので、「そんなに文句言うなら働かなければいいのに!」と母に言ったことを思い出します。その時、母は何も言いませんでしたが、今になって、あの時の母の気持ちはどんなだったか、と心が痛みます。
中学生といえばもう十分理解できる年齢だと思いますが、それでもわたしは理解できず、母を傷つけたと思います。もっと年齢が低ければ、いったいどのように子どもに理解させればよいのでしょうか……。自分自身も、将来子どもを持っても仕事は続けたいと思っています。
自分たちのためと思うと申し訳ない気持ちに(ぽんさん・宮城・既婚・25歳)
自分が子どものころ、母が働くのは自分たちのためと思うと申し訳ない気持ちになった。それに、母親がいつも家にいて自分を待っていてくれたらいいなと思っていた。