
地域のよさを感じられるのも利点
(MIYAさん・東京・パートナー有・31歳)
両親の費用負担を考えると公立のほうがベターですが、自分の3年くらい上の先輩との世代の違いなどを感じるにつけ、教育・環境の大切さを考えると質が良いことに越したことはありません。ただ、子どもが育つ環境の広がりを考えると、小・中高校と少しずつ自分の視野を広げ、徐々にその地域のよさを感じたり、友だちを地元に増やしたりしていくことはいいことだと思うので、自分が公立出身のせいか、やはり公立の利点もあるかなと思います。
また、たとえば私立の高額な教育費を考えると、公立の「誰でも通える」ところに身を置いて、それぞれの人のいろいろな人生を見させるという社会勉強も必要かと思います。ただあまりにもすさんでいたりすると逆効果ですが……。ただ、中学・高校くらいになると、子どもの趣向や考え方というのも出てくると思うので、その子にあった環境を選ぶサポートをしてあげたいなと思います。
よくよく中身を調べないと
(samisa0108・東京・パートナー有・41歳)
小1プロブレム……わたしの娘が小1の時経験しましたが、学業の面においては卒業まで影響し、中学で他校の生徒と一緒になったときに大変だったようです。わたしの娘は私学の中学に通わせていますが、小6の息子をどうするか悩んでいます。
大学全入時代といっても、人気のある大学への入学は小子化の影響でますます入学が困難になり、大学といっても実情は千差万別だと思います。大学も生き残りをかけてさまざまな試みがされていますので、よくよく中身を調べないと、こんなはずでは……ということになりかねないと思います。私学と公立の差は、教師の差と与えられる知識量の差だと思います。それをいかに吸収するかは通っている子どもによりますので、一口に私学と公立どちらが良いのかという結論を出すのは難しいと思います。
社会全体が子どもを育てて
(ORYU・関西・パートナー有・30代)
教育というのは、学校だけで行われるものでしょうか? 社会全体が子どもを育てていくことが教育だと思うのです。アメリカでは自宅学校というものがあり、周りに学校がない子どものために自宅で数年間の学習をし、後に子どもが大きくなってから学校に通わせる、という方法があることを知りました。「教育の義務」というのは「学校に通わせる義務」とは違うのだ、と気付きました。また、「学校のみが勉強・教育の場」という考え方が違うことにも気付き、考えさせられました。社会が子どもを育てていく姿勢、もっと地域が学校に参加する姿勢があれば、公立・私立は関係ないと思います。そういう意味では、Yesです。
教育のレベルの一定化が必要
(月の猫・神奈川・30代後半)
先日、公立小学校1年生の子どもを持つ友人と話をする機会がありました。「夏休みの宿題はともかく、普段の宿題の量が、担任の先生でまるで違うんだよ。出してくれる先生は漢字ドリルとかちゃんと出すけど、出さない先生は全然出さないの。わが家は出さない先生に当たったから悲劇だ」。
教育のレベルのある程度の一定化が必要だと思わず思いました。昔、自分たちが小学校・中学校のころは、地元(千葉県でした)では、公立進学が当たり前で、私立は(都内の有名校を除けば)滑り止めでした。その構図が今は逆転してると友人からは聞かされました。そうなると、公立だろうと私立だろうと、長い人生の大切な時期、より良いものに接しさせてあげたいというのは親心では。また、公立は良い先生がいても、転任してしまいますから、それもマイナス要因ですね。わたしには子どもがいませんが、たぶん、いたとしたら、無理をしてでも、私立に放り込むような気がします。
公立のシステムが変わらない限り
(mamarin)
義務教育は特に、公立でしっかり教える義務が国にあると思います。しかし現実にはお役所的な組織で先生の移動や配置などが書類的に処理されたり、最も憤るのが犯罪(わいせつ、体罰)を犯した教師が辞めずにたらい回しになるシステムです。この体制が変わらない限り、私立への移行は止められないと思います。アメリカがとった、全国共通試験を一斉に行い、学校(公立)のランク(得点、平均点)をつけ、先生方に問題点を考えてもらうという方法も悪くないかもしれませんね。
もっといろんな人がエキサイトして
(しろりむ・三重)
以前、BBCの番組で「私立か公立か」という討論をしていました。子どもを私立学校に通わせている親と公立学校に通わせている親をそれぞれ一人ずつ招いての大激論でした。パブリックスクールの例を持ち出すまでもなく、イギリスは昔から私立志向の強いところ。その中であえて公立学校を選んだ親はこう言っていました。「公立にはさまざまな社会階層の子どもが集まる。本当の意味での社会を知るためには公立のほうがよいのだ」。いわゆるリベラリズムの考えです。
しかしこれに対して私立派の親は、「私立のほうが、弁護師の子、芸術家の子、外交官の子と社会的に幅広い世界に触れることができる。公立はブルーカラーの子どもばかりだ。だいたい親のリベラリズムを子どもに押し付け公立に通わせるなんて親のエゴもはなはだしい。子どもの可能性をつぶすことになる」、と反論。怖いくらい白熱した議論で司会者も両者をなだめるのに苦労していました。子どもの教育となると親はエキサイトしますよね。でもそれってすごく大切。親だけでなく、もっといろんな人がエキサイトするくらいの議論をたたかわせたほうが、教育の質向上につながるのでは、と思います。
生徒に引きずられること自体が間違い
(東漣)
何もすべての私立校の水準が高いとは思っていませんが、公立校の教師の質の低下が著しいような気がします。「そんなことを言っても現場の子どもたちの態度の悪さを見てくれ。どんなに教師が一生懸命やっても授業が成り立っていかない」と言う教師側の意見も聞きますが、授業を聞く気のない生徒に引きずられること自体が間違っていると思います。
「地域性」の一言で片づけられ(ふろすと・兵庫・パートナー有・42歳)
今まではわたし自身もそうでしたし、子どもたちも「高校までは地域の公立学校に行かせよう」という方針でした。地域の中で、いろいろな子どもたちと一緒に育ってほしかったのです。でも公立の中には、「最低限のサービス」しか提供してくれないところがあります。
特に長男の通う公立中学校は、「勉強はそこそこで、クラブさえ続けていればいい」という方針です。総合選抜という受験方式のせいか、「近くの公立高校のどこかに合格できればいい」という姿勢が三者面談でも強く、進路指導も不十分です。授業がちっとも進まず(いつまでたっても教科書の最初のほうばかり)、進度について不安を訴えると、「地域性」の一言で片づけられたので、長男もわたしも呆れてしまいました。「ここら辺の子は、勉強遅れとってもいいっていうことやんな」という長男の一言で、最近は私立学校も真剣に選択肢に入れています。
望む教育を受けられる学校選びが大切(早稲田順子・埼玉・パートナー無・27歳)
私立高校の教員をしています。従来に比べると、高等学校の教育方針は千差万別で、同じ私学間でも教育形態の多様性を実感しています。教育関係者は、昨今の劇的変化を熟知しているはずですが、一般のご家庭では、従来の公立高校においての一般的な教育=高校のイメージという考えが根強く残っているものと思われます。文部科学省から科された課題と、現場の状況を加味して、各学校が「どのような教育を目指すのか」を決め、学校を作っていくのですから、自分の望む教育を受けられる学校選びが大切になるのではないでしょうか?
見学などに行って、慎重に選びたい(ホケン・愛知・パートナー有・27歳)
教育の質、生徒の質がよければ、公立・私立は問いません。地域によって、公立のほうが良かったり、私立が良かったりします。選ぶ際には、周辺の方々の評判を聞いたり、見学などに行ったりして、慎重に選びたいと思っています。どの大学に何名進学しているか、生徒の通学の様子(特にマナーと身だしなみ、言葉遣い)、構内の様子、授業内容と風景、教師の態度・能力などを重点的に見ます。これを満たす学校であれば、どちらでも構いません。月謝が高過ぎれば、以上を満たしていてもその学校は考えるかもしれませんが。コストベネフィットが良いほうを選びます。
教育に何を求めるかによって選ぶ(しろりむ・三重)
わたしの住む地域では私立志向が非常に高く、とくに中高一貫の私立校に人気が集中しています。公立はすべり止めになりつつあります。実際、教育関係の仕事に就いている友人たちの多くは子どもを私立の小・中学校に入れています。文部科学省の方針転換に振り回され、カリキュラムがコロコロ変わる公立に比べ、私立のほうがレベルの高い授業を受けられるという考えのようです。また公立の教師は授業以外の仕事があまりにも多すぎて、授業の準備に十分な時間をとれないという傾向もあるようです。
実際、塾講師という立場から見て、私立と公立の差は歴然としてありました。公立が落ちこぼれを出さないようにする一方で、私立は吹きこぼれ(授業が簡単過ぎて嫌になってしまう生徒)を出さないようにします。それもあって私立は宿題や課題がびっくりするほど多い。授業も密度が濃い。カリキュラムもしっかりしている。親とすれば、私立で何から何まで面倒を見てもらいたいという気持ちになるのもわかりました。
ただ、公立には逆説的な意味での「自由」があります。先生の手が十分回らないことによって、生徒が自主的に何かを探すことができる。また公立・私立とは別に学校のカラーというものもあります。結局は教育に何を求めるかによって、公立・私立の中から自分の子どもに合う学校を選べばよいのでは。
インターナショナルスクールも視野に入れて(アンヘルカーサ・東京)
インターナショナルスクールのような私立校もわたしは選択肢に入れています。知人の子どもはインターナショナルスクールに幼稚園から通っています。彼女たちは小学校低学年から人間の体の構造について学んだり、自分たちの生活に即した授業を受けたりしています。また日本と違うなと思ったのは、少人数のグループ学習の際にお互いの意見を言い合って、最後にはまとめて発表するということを行っていること。日本人は自分の意見をきちんと言えない人が多い。子どものころからそのような場面で鍛えられている子どもたちは幸せだな、と思いました。

実質的な機会均等を確保した上で(A6M2・愛知・パートナー有・47歳)
教育の質とは何でしょうか。進学率ですか、人格形成ですか。いずれにせよ、公立はNoです。公教育とは、私立の補完というのがあるべき姿です。日本の学校教育の不幸は、一部の有名校を除いて、建学の精神に欠け、教員や設備の質が悪く、選択の幅が狭い上に、公立学校に予算が集中的に投入されていることだと思います。東京は別ですが、地方都市では、私立は公立よりワンランク下というのが通常の姿ではないでしょうか。
日本の学校の在り方を立て直さないまま、公立か私立かという議論をするのには疑問があります。教育は、私立が原則、奨学金制度の充実で実質的な機会均等を確保した上で、学校間の教育サービスの多様化と質の向上を図る方策を考えるということでなければ、地方では、有名公立校に入学するための寄留という悪しき風習がなくならないと思います。
学習指導要領の方向性がコロコロ変わり(MANAMI・東京・パートナー有・40歳)
公立の場合、教職員の異動の問題があり、ある時点で「いい学校」であったとしても、その状況がいつまで続くかについては不安があります。私立の場合、良くも悪くも個性がはっきりしていて、その環境が、ある程度、安定して維持されることが多いように思います。特に、学習指導要領の方向性がコロコロ変わっている昨今、公立の学校の行く先についての不透明さには不安を感じます。