教える側の教育を!(うらも・東京・パートナー有・34歳)
教えることはできると思いますし、教えて理解していなければ利用させるべきではないと考えます。
自分には子どもがいないのですが、大学の情報教育施設に勤務しています。理系の施設で利用者も理系に限定されますが、学生の意識の低さに驚くことしきりです。個人情報の基本となるべきIDやパスワードの流用は基本、友だちだから大丈夫という認識です。友だちの友だちには勝手にメールアドレスを教えることも普通であったりします。元々インストラクターをしていたときには、小学生を相手にしていてもインターネットのしくみやエチケット、そして個人情報の取り扱いについてきちんと説明をしていたので、情報などを勉強している学生自体がその状態であることに畏怖を感じます。
小学生から学校で利用するわりには、操作を教えることに終始しているように感じてしまいます。子どもに教える前に教える側の教育ももっと必要じゃないのかな、と感じます。
ネガティブな面だけでなく可能性や夢も教えたい(しろりむ・三重・パートナー無・36歳)
最初このテーマを見たときに、「子どもからデジタルリタラシーについて教えられますか(教わりますか)?」というふうに間違って解釈したため、YESとしました。実際、ゲームや携帯電話の知識は、子どもの方が詳しいことが多いです。子どもに教える仕事をしていますが、小学生からは最新のゲームソフトについて、高校生からは携帯の機能について、教えてもらうことがちょくちょくあります。それじゃあ、「わたしが子どもたちに教えることのできるデジタルリタラシーはなんだろうか」と考えたときに、たぶんそれはテクニカルなことではなくて、モラルだとか、ITの持つ問題点(たとえばデジタルディバイド)だとかいう抽象的な事柄かなと思います。さらに、どちらかというとネガティブな面を教えることが多いことにも気がつきました。もちろん注意や警告を与えることも大事だけれど、できれば可能性や夢も教えたいなあと、サーベイを読みながら思ったりもしました。win-win対談のアラン・ケイさんのインタビューにもありましたが、「子どもを萎縮させずに高い山があることを示す」ような教え方、子どものクリエイティビティを引き出すような教え方ができればいいなと思います。