
本来求められていること、を忘れない(もりぴぃ・埼玉)
昨日、綾戸智絵さんの言葉のご紹介がありましたが、私も彼女が大好きで偶然にも昨日コンサートに行ってきました。ジャズはまさしく臨機応変の世界。その日の会場の空気やお客さんの視線を全身で感じ、音を奏でる。コンサートの中で、「音楽は定食でも制服でもないでぇ」とおっしゃっていたのが印象的でした。本当に人生もその通りですよね。老若男女、さまざまな人がいていろいろな考えがあるからこそ面白い。でもそうはいっても、仕事の場だと正確さが重視されますからついマニュアルに振り回されがち。ですが、本来そこに求めているものは何だろう?という視点を忘れない事が、自信を持って臨機応変にできることにつながっていくのかなと感じます。
一歩下がって全体を見渡す(月の猫・神奈川)
日常生活には、判断がめまぐるしく変わるものが、多数転がっています。特に仕事では朝令暮改のような指示を出すクセのある上司がいて、一時期かなり振り回されました。その学習効果として、指示が180度変更されても大丈夫なように心構えをしつつ、ポイントをはずさないように指示を確認するクセがつきました。じっくりと考えてから指示を出す人ばかりではないので、気まぐれな上司に振り回されないように臨機応変に処すのも、社会人の能力の一つだと思いました。ただ、これは本当に難しいのです。一つのことで臨機応変に対処できても、他のことで応用がきかないこともあります。最近見たテレビで、「一歩下がって全体を見渡して行動すること」という言葉を聞きました。これは、何かコトに当たるときに臨機応変に対応するためにも重要なポイントなのでは?と思っています。
自分の不手際を棚にあげて(なかなか@なかなか・大阪・パートナー有・36歳)
友人の舞踊家は、どこでも軽妙に踊ってみんなを喜ばせてくれます。しかしながらこれは幼少から積み上げてきたものがあってこそのものなのでしょうから、最後のウイットって感じでしょうか。私にとっての臨機応変は、自分の身勝手によって起こった困難を瞬時に都合のいいほうに切り抜けるということになると思います。自身の不手際・不養生を、棚に上げているような気がします。
臨機応変な対応は痛みを伴う(梶本洋子・東京・パートナー有・51歳)
仕事中に臨機応変な対応を断行する場合はいつでも、ある種の厳しさを伴うものだと思います。ルーティーンワークからの逸脱が結果的に良かったとしても、多かれ少なかれ痛みを伴うものだと。具体的には担当者の入れ替えや企画の大幅な見直しなどなど。だから「これは単なる思いつきではないのか」という自問との格闘でもあります。そして最悪の結果を招いたとしても、それを「致し方のないこと」「次へのステップ」として捉えるだけの覚悟と度量が要求されるのだと、私は考えます。
新しい仕事を通して(urara-♪・大阪・パートナー有・32歳)
経験が生み出すもの……臨機応変とは、私の永遠のテーマかもしれません。前職では同じ会社で8年。そこから転職してしばらく経験を積むべく短期間の仕事にいろいろと挑戦しましたが、自分がいかに「過去の経験」と「慣れ」だけで仕事をしていたのかを思い知らされました。1日、1週間、1カ月という短期間だからこそいち早くその場の空気をよんで自分が今何をしないといけないのかを判断しないといけないという状況になって、改めて仕事のスピード感の違いを感じました。最初はまごまごしていましたが、新しい仕事や環境に合わせる臨機応変さも新しいことへの挑戦と場数によって身につけることができると思います。まだまだ修行中ですが、マンネリが生み出す惰性感よりもはるかに充実した時間を過ごすことができたと感じています。
当たって砕けろ的な精神(のほっち・山口・パートナー有・33歳)
「もうだめだ」と観念するのは簡単ですが、自分で作戦を練るのも意外と楽しいものだと思います。必ずしも成功する訳ではないと思いますが、当たって砕けろ的な精神も時には必要なのでは。後はその気持ちを奮い立たせる勇気を出すのみですね。