
先生に指摘されたとき、親はどうしたら良いのか (willow・千葉・パートナー有・48歳)
幸い私の愚息二人は、至って平凡で普通の子供達でした。しかし私には、重度の身体障害者の従妹と、発達障害を疑う甥がいます。二人共、離れて暮らしているので私の生活には全く無関係なのですが、もしも自分の子供だったらと思わずには居られません。この二人の場合、むしろ、誰からも一目瞭然で明らかに介護が必要な重度身体障害者の方が、行政の対応も不十分とはいえ、為されていると思います。甥が発達障害ではないか、というのは、幼稚園の先生から知的障害者の為の学校に行った方がいいのではないか、と言われたときです。暴れるとか騒ぐとかいうのではなく、普段も極普通の子供に見えるのですが、知能が遅れているのではないか、と疑われたのです。この時、妹(甥の母親)は、頑として、「人に迷惑を掛けない限り息子は今のままでいいのだ」といって、取り合おうとしませんでした。言葉が遅いとか、他所のお子さんが出来ることが出来ない等というのは、其々子供の成長のスピードが違うのだから気にする事は無い、と思います。が、幼稚園の先生から、もしや……と言われた時、一体、親はどうするのが子供にとって良い事なんだろうと、考えさせられました。 最近の報道で色々な発達障害があるのを知りましたが、自分が気付かなかっただけかもしれませんが、昔は、そういう子供達はあまり居なかったのではないか、と思います。
子どもの言葉の遅れにとまどい(yukalalala・愛知・パートナー有・34歳)
3人いる子供のうち次男が5才になるまで言葉が出ず健康診断でかなりつらい思いをしました。主人がアメリカ人なので家庭内で2ヶ国語が環境がいけないとも言われ悩みました。自閉症なのではないかとも言われました。他の兄弟はまったく問題もなかったのに。結局、市の言語訓練に半年ほど通い(でも言葉の訓練ではなく完全に自閉症を意識したものと思われました)普通に生活をしていたら自然に話せるようになり、その後も無事に小学生をしています。でもまだ興奮するとどもったり、字を覚えるという事が大変苦手なようでLDかな? と思ったりもしますが……言語訓練の先生は「今の段階で医者に診せ自閉症という病名を付けさせられたら可愛そうだから」と言われたのですが……親の目から見てどもりと字の覚え以外はお友達とも普通に遊べるし大丈夫かな? と半信半疑な状態です。
子どもを標準と比べて、すぐに不安に(マサキ・パートナー有)
自分の子供になると私もそうでしたが標準と比べてどうかがすごく気になりました。背の高さ、体重、寝返りの早さ、とか。少しでも低いとか遅いと考えると発達障害じゃないかって心配したりして。今考えると心配しすぎたと笑い話ですが、その時々は必死だったんですけどね。でもそれが一生懸命育てていた証のような気がします。背が伸びた! 嬉しい、とか寝返った! 最高! とか。発達障害を疑う事も必要かもしれないですが一生懸命育てることに目を向けて頑張っていけたらと思っています。
小さいころの記憶がない(delmar・千葉・パートナー有・34歳)
自分の子供は明るく、活発で、集中する細かい作業が好きな子に育っているので問題ないかなぁと気にしていませんが、自分が幼少の時、そうだったのでは? と疑っています。なぜなら、小さいころの記憶が殆ど無いからです。小学校2年生ぐらいまで、数えるほどしか覚えてません。その後は事細かに、詳細まで覚えてます。今でも記憶力は良いほうです。脳の発達が遅かったのでしょうか? 今問題ないので「まっ、いっか」と楽観的に考えてますが、何か重大な欠陥でもあったのかなぁ? と時々思う事があります。
グレーゾーンにいた夫(ちいかめ・東京・パートナー有・31歳)
何かしらの特別な支援が必要になるのかどうかの境目、いわゆる個性の範囲といえるかどうかの境目は、社会的に特別な支援がなくても将来自立できるかどうか、だと思っています。私の旦那は、漢字を書くのが苦手だったり(妻である私の名前すらです!)、書いた本人が読めない程の字を書いたりする時があります。義父母から子どもの頃の話を聞くと、勉強はおせじにも出来たとはいえず、隣に座っている子といきなり喧嘩を始めたり、運動は苦手だったりと、いろいろあったようです。私は学生の頃から障害児教育を専攻していて、今もその道で仕事をしていることもあり、旦那の子ども時代の詳しいエピソードや本人からの困っていたこと等を聞くにつれ、発達障害の枠に入るか入らないかのグレーゾーンにいた(いる?)のではという印象を受けています。実際、私の心理検査の練習の相手をしてもらった時に、そのような結果が……(^_^;)。ただ、結果として自分で稼いで自分で生活していくスタイルを確立できたので、今でも特別な支援は何も必要ないのですが、もし子どもの時に何かしらのサポートに出会っていれば、少なくともコンプレックスは軽減されていたのかなあと思っています(私と出会った23歳の頃、コンプレックスの塊のような部分があったのです)。そのようなことがあり、授かった二人の子どもに対して、発達障害を疑ったことはありますし、まだ二人とも幼い(3歳と1歳)ので、これからも見守りたいと思っています(幼児期後半くらいにならないと表面化しないこともありますよね)。