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2005/5/9(月) - 2005/5/13(金)
1日め:テーマの背景 | 2日め | 3日め | 4日め | まとめとリポート
5日め

テーマ子どもの発達障害を疑ったことはありますか?

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凡例
キャスター
古荘純一
古荘純一 小児精神科医・青山学院大学助教授

知的に遅れがあるかどうかは、知能指数で判断します。知能指数(IQ)は、生活年齢と実際の発達・精神年齢の割合です。医学的に言えばおよそ70以下を知的障害として考えます。つまり子どもで言えば実際の年齢の0……

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これまでに届いているメンバーからの投稿

YES

国によるLDの診断の違いとは? (Jayster)

LDについて調べていたときに、アメリカの方が日本よりも書字障害が多いのだと知りました。LDが先天的な障害なのであれば、国によってこのような差が出ることは、とても不思議なことのように感じました。これは、英語やアルファベット言語のほうが学習が難しい、などの言語構造の違いによるものだと考えるべきなのでしょうか。それとも、アメリカだったらLDと診断されるような子どもが、日本では(現場の教師や医師の知識不足などから)見過ごされていたり、単に読み書きが苦手な健常児として扱われている、ということなのでしょうか。「一つの国でLDやADHDと診断されるということは、他の国でも同様に診断されるということなのか」ということに、帰国子女として、とても関心を持っています。

LDの気があるかも、と言われました(マダムアルディ・パートナー有)

私の三番目の男の子は、自分が今したいことを抑える事が出来ないというところがあり、集団生活において心配に思い校長先生に相談したことがあります。小学校1年生の時でした。校長先生は、「ほんの少しLDの気があるのかもしれません。ただ、同級生の子供達の話しを聞く限りですが。」と言われました。また、年子の上の子のクラスにはとても乱暴な子がおり、その子の問題が話題に上がると、「子供達には一定の割合でLD/ADHDの子供がいることを理解して下さい」と言いました。この対応に私は少々無責任さを感じました。結局、やはり専門家の意見を聞きたいと思い公機関の専門家に相談しました。結果としては問題ないとのことでしたが、この子は人よりも理解したり習得したりするのに時間がかかるとの実感で、毎朝送り出すときには、「授業中席を立たない」「先生の話はしっかり聞く」と子供に言わせてから学校に送りだしています。

些細なことでも気になってしまう(IPウーマン・36歳)

子供はみな落ち着きがないものだ、と思っていたので、私自身はないですが、昔から子供に多く触れてきた夫が、「ちょっとおかしくないか?」と盛んに気にしていました。確かに、いつもうそうそ落ち着きがなく、気に入らないことがあると火がついたように泣く。でも好きなことに関してはものすごい集中力を見せる。もしかして自閉症? と少し疑いました。しかし、今はごく普通に保育所に通い、お友達とも適度な関係を築いているように見えます。周りのお友達や先生の話も、聞けば色々話してくれますし、取り越し苦労だったようです。一人目の子供は親もよくわからないし、どうしても他の子と比べてしまいがちなので、些細なことでも変なのかしら? と思ってしまうのではないでしょうか。それにしても、統合失調症、認知症に続き、「自閉症」という言葉も何とかして欲しい、と常々思っています。もちろん、言葉だけ変えれば済む問題ではないですが。

母親として失格なんだと思っていました(mayami・神奈川・パートナー有・49歳)

疑ったことがあります。長女が他の子とどこか違うように感じて、もしかしたらと思いました。主人に相談すると、そんなふうに考える私に問題があるというようなことを言われました。はじめての子供でもあり比べる対象もなく、うまくいかない子育てに自分は母親として失格なんだと思っていました。子供ひとり満足に育てることも出来ないダメな人間で生きている資格もないと思っていました。この子はなぜ人よりも物に興味があるんだろう。なぜ理由もないのに急にに火がついたように泣き叫ぶんだろう。名前を呼んでもなぜ無表情で遊びに熱中しているんだろう。そもそも私が母親だという事をわかっているんだろうか。コミュニケーションがうまくとれない子供との毎日に疲れ果てていました。そして一歳半健診で保健婦さんから、「お母さん、お話がありますのでちょっと残って下さい」と言われた時には私が母親として問題があるので子育ての指導を受けなければいけないんだと思いました。20年以上前のことですけれど今思い出しても辛くなります。その後、保育園、幼稚園、小学校、中学、高校、大学と本当にいろいろな事がありました。現在、長女は今月24歳の誕生日を迎えようとしています。診断名は自閉的傾向から始まり高機能自閉症、アスペルガーなどその時々でいろいろで、どう違うのかまた同じなのかわかりません。ただわかるのは世の中で理解されにくい障害を抱えて、それでもなんとか親亡き後も自分の力で生きていかなければならないということです。今はまだ大学に在学していますが、そろそろ卒業させなければいけません。卒業したところでこの子が働かせてもらえる場所はあるのだろうか、また親が動いて探さなければいけないのかなとも思っています。

NO

子どもに厳しすぎる時代(ヒロカ・千葉・パートナー無・31歳)

私は自分の子供はいませんが、意見を聞いていると、なんだか今の時代って、子供に厳しすぎるように思えてしまいました。「おちつきがない」とか、「周囲と全然違うことをやる」とか、「突如騒ぎ出す」とか、「話が全然通じない」大人って、会社でも街中でもやたらとその辺にいませんか? でも、大人の場合は「そういう人だ」で、放っておかれるのに、子供の場合は「発達障害か!」と扱われるのは、アンフェアだと思いました。どうも子供は「大人が扱いやすい子はいい子」で、それ以外は「ダメ」にされてしまって、しかも反論できないから不幸ですね。完璧な人なんていませんし、まして子供なんだから、そんなに厳しくしなくてもいいじゃないかと思います。逆に大人社会のアンフェアさと余裕のなさがうかがえます。

どう接したら良いのか(あことら・東京・パートナー有・54歳)

自分の身内には発達障害と思われる子供はいないのですが、ご近所に多分そうであろうお子さんがおられます。公共の場でも時折見かけることがあるのですが、そういう場合、どのように接してあげればよいのか迷ってしまいます。周りの大人が心がけて接することにより、良い効果があるのであれば、是非お役に立ちたいのですが、お声をかけて逆効果になることも考えられ、何も行動しないでおります。良いアドバイスをいただければ幸いです。

昨日までのみなさんの投稿を読んで

発達障害児の「わからなさ」を理解すること

知的に遅れがあるかどうかは、知能指数で判断します。知能指数(IQ)は、生活年齢と実際の発達・精神年齢の割合です。医学的に言えばおよそ70以下を知的障害として考えます。つまり子どもで言えば実際の年齢の0.7以上の知的な発達があれば正常範囲と判断します。例えば10歳の子どもでは7〜8歳程度以上の発達があれば正常範囲です。しかし、実際の学校生活では学習に困難を来している子ども達が多数いると思います。知能指数だけでは、多動の子ども、学習障害と呼ばれる特定の部分だけ極端に苦手な子どもは判断できないのもその一因です。通常のクラスでその子達の学習の指導をする理想はよいのですが、現場の学校の先生方は大変だと思います。ご両親は知能指数を一般のテストと同様に、その評価を高めようと考えがちですが、実際の生活年齢が上がれば、分母が大きくなるのですから、値を上げることを目標とするのは正しくなく、その子に応じた現在の発達度合いを推測する方法と考えてください。子どもたちは、がんばっているにも関わらず勝手にハードルを上げられることになります。逆に知能指数が高くても、社会的な適応度や満足度と直接関係するわけではありません。

まとめですが、箇条書きにしてみました。発達障害は先天的な因子が関与する。烙印を押すことは禁物、違いを認めて差別防止。それぞれにふさわしい支援がある。診断を受けることは支援の始まりと考えよう。目標は、学習や適応度の向上ではなく、生き甲斐をもてる健全な人格形成である。現状では、発達障害児の養育に家族に過剰な負担がかかっており、地域ぐるみの支援が必要である。相談機関や専門家が不足している。(有名な施設は予約が1年以上先ということもあります。たとえ発達障害の診断が可能であってもご家族はただちに受け入れがたいと思われることも少なくありません。発達を考えた経過観察が可能な施設、診断だけでなく助言を得られる機関が良い相談機関であり、全国的に充実されることを望んでやみません。)

最後に、発達障害児に関わる一人として申し上げたいのは、発達障害児のわからなさを理解することが必要です。目が不自由な方の視力、足が不自由な方の歩行と同様です。内省を要求することは目が不自由な方に「見ろ」と言っているようなものです。純粋な彼らは、周囲の理解と支援を必要としているのです。

古荘純一

古荘純一

小児精神科医・青山学院大学助教授

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