
自分にその傾向があったのでは(Hotelier・千葉・28歳)
私には子供がいないので、他者の発達障害を疑ったことはないのですが、やはり、自分が少しその傾向があったのではないか、と今になって思うことがあります。とにかく注意力散漫、その場で自分が何をやらなければいけないのかが全くわからず、最初の幼稚園では明らかに先生に邪魔者扱い。なぜなら、みんながお絵かきをしているときにお絵かきができない、うろちょろしてしまう、他人のクレヨンをいじる、そんなことを子供の英会話教室でもやってしまい……。これは、他の親御さんよりクレームが出て、ほんの数回通って終了。発達障害と疑うことが近年になって多くなったのは、子供に対する教育の過多とでも言うのでしょうか、習い事をすることも含めて他の子供たちと比べてしまうような事項が、周りに多く存在するようになり、だからこそ、小さな適応性のなさも、障害の片鱗ではないかと感じる機会が多くなったからであろうと、個人的には感じています。その後、母は私に文字や英語に関わるような大脳を使う系統の習い事やグループレッスンをさせませんでした。ただ、ピアノだけは厳しく習わせられました。ピアノを習得するというのは、大脳の問題ではなく、繰り返し体で覚えるという小脳の問題だからだ、ということでした。これ、本当なんでしょうか。そのほかの文字を覚えるということや、英語は小学校や中学校に入ってから、初めて習いました。二十歳になればみな同じ、そんな風になっていればよい、と思って育ててきたという母。そして、今こうして文章を書き、英語を使った仕事をして、ピアノで癒される毎日を考えると、感謝です。
得意なことを、もたせてあげたい(ひろえっち・北海道・パートナー有・35歳)
4歳の息子は、言葉がとても遅かったので、1歳半検診のときに、保健センターの「言葉の教室」を勧められ、3ヶ月に1回の経過観察をしていました。3歳から幼稚園に入れることにして、園探しをしましたが、子どもが大勢いる中に入っていけず、パニック状態に……。悩んでいたときに、家から比較的近い場所にある無認可の小さな幼稚園を紹介され、連れて行ったところとても安心した表情を見せました。自然の中で3〜5歳児を30人程度、混合保育していて、先生たちもとても暖かく、私たちの心配事をよく聴いてくださいました。今、年中に進級しましたが、時折こだわりやかんしゃくなどが見られるので、もしかすると多少行動障害があるのかも、とも思いますが、幼稚園で子どもの良い面を引き出してもらえたので、私たち夫婦としても、もし障害だったとしても、得意なこと、好きなことに目を向けて育てていけば大丈夫なのでは、と考えるようになりました。音楽が好きなようなので、夫が得意なギターを息子にも習わせることにしました。学校でうまく受け入れられないということがあったとしても、ひとつでも得意なこと、自信があることがあれば、明るく前向きでいられるのではないかと考え、そういうことをなにか持たせてあげられるように、いろいろなことをやらせてみようと思っています。
もしかしてADHD? (コリエコリコ・東京・パートナー有)
あまりにタイムリーな質問で、思わず投稿しようかどうか迷ってしまいましたが、まさに今我が子のことで悩んでいます。以前から多少落ち着きがなかったり、集中力が欠けているなとは思っていましたが、年々ひどくなっているように感じます。5才の頃ADHDでは、と気になって担任の先生に相談しましたが、その時は単なる個性では、といわれました。ただ、ここのところのエスカレートぶりに、最近色々な本を読んだり講演を聴きに行ったりしていますが、”もしかして”と思わせられる事例も多く、不安な毎日です。ただ、はっきりさせたくてもどこへ相談を持ちかければいいのか、どの専門医がいいのかわからず、ふつうの病気のようにすぐ近所のクリニックというわけにいかないので行き詰っているのが現状です。早く原因だけでも突き止めて、対処をしたいのですが……。
判断の危うさ(梶本洋子・東京・パートナー有・52歳)
家族や私たちとはごく普通に接し、しゃべる内容や行動を見る限り正常児、むしろ頭の良い子に思えた小学2年生の甥が、クラス担任の先生からは「境界児」であると判断されました。両親は私同様その判断に対して非常に違和感を持ち、随分悩んだ末、公共の児童相談所のドアをたたきました。結果はあっけないものでした。甥は担当の先生に好感を持つことができず、故意に何の反応も示さなかったことがその誤解につながったというものでした。健常児でも境界児として扱われるその現実に、「恐ろしい」と、そして「決してあってはならないことである」と、強く感じました。原因が担当の先生にだけあるとはもちろん思いませんが、どこかが何かが間違っている、暗い気持ちで思ったことがございます。