
ホームステイ先のおばあちゃんとの出会い(noruru・大阪・パートナー無・35歳)
昔は写真に写っている自分も、それ以外のシチュエーションの自分も嫌いでした。が、ホームステイ先のおばあちゃん(Omaと呼んでいました)との出会いが転機でした。孫に女の子がいなかったのか、東洋人が珍しかっただけなのかはわかりませんが、「愛されている」ことを実感できました。「あなたの焼けた肌には、黄色がよく似合うわね」といわれて苦手だった黄色が好きな色になり、笑えば笑ってもらえることもわかり、写真はそう苦手なものでもなくなりました。それ以降の自分は嫌いでもないですし、美しいとは思わないまでも「なかなかやん」って思っています。
自分を犠牲にできる愛(アグネス・静岡・パートナー有・37歳)
ビジュアル的に美しいと思えることはあまりありません。でも、最近は子育てをしている時の自分が美しいのでは、と思えるようになりました。子どもに差し出す手、子どもを慈しむ目。子育てで自分が犠牲になる面も多いですが、自分を犠牲にできる愛を表現している時がきっと美しいのではと思います。鏡は見ていませんので、実際はわかりませんが……。
年齢とともに心が丸くなって(シナモンクッキー・愛知・32歳)
鏡に自分の笑顔を映してみたときです。私はつり目なので、20代の頃は自分の笑顔ってかわいくないな、と思っていました。でも、最近の私の笑顔は、自分で言うのもなんですが、優しくて幸せそうな、柔らかい笑顔になりました。それは、年齢と共に、心が丸くなってきた証拠なのかな、とも思ったりしています。自分の笑顔に自信がついたせいか、人と接するときも最近は、意識して笑顔を心がけています。
鏡の中の自分を見つめる余裕(blueooo・東京・パートナー無・24歳)
それは、ちゃんと自分と向き合ってる時、鏡に映った顔ですね。「美しい」というか、「つきものが落ちたようなすっきりした顔」とでもいいますか……。頭の中のもう一人の自分と向かい合って思考・行動できている時は、例え逆境でも「ま、やるだけやってみようか」と妙に「しなやか」な表情をしていて、また、鏡でそれを観察できる余裕さえあります。でも、向き合えていない時は、鏡の中の表情を見つめることも、問いかける事もありません。投稿されている何人かの方が、鏡の中のご自分の表情について書かれています。私は、そうやって自分の表情に意識を向けられる事が十分美しいと思います!

メンタル・ヘルス面のケアを大切に(KOZUE・岩手・パートナー有・38歳)
年齢を重ねるほどに、内面がにじみ出てくることをしみじみ実感しているこの頃です。スキンケア、ボディケアにお金と時間をかけてあげないといけなくなってきましたが、メンタルケア、ヘルスケアもとっても重要なことになってきました。私は、メンタル・ヘルス面のケアが上手くできずに、疲れたおばさん化しつつある自分を感じてしまっています。いけない、いけない!!
「かっこいい」「素敵」と言われたい(Atlanta・神奈川・パートナー有・46歳)
若い頃は鏡や写真の中の自分がまんざらでもなかったのですが、この頃は見るのも嫌です。でも、年齢と共に「美しい」と言われるより「かっこいい」とか「素敵」と言われたくなってきているのも事実。これは男性の感覚に似てきているのかもしれません。美醜はともかく、外見は身ぎれいに整える位にして、行動とか生き方を重視したチャレンジを常に行っていきたいと思っています。
家中に鏡を置いてみる(ジョゼフィーヌ)
最近、鏡を見ること自体が減った気がしています。洋服を買う時の試着室や、たまたま入った公共のお手洗いなどでふと自分を見て、その疲れた顔に「このままじゃいけない」とゾッとすることもしばしば……。実家にいた頃は、祖母がなぜか家中のいたるところに鏡を置いていて、私も自分のその日の表情や肌の状態など常に見ていました。今の住まいでも、鏡をあちこち目につくところに置いてみようかしら? と考えてしまいます。