

教育の一環として裁判に触れる工夫を(うめり・東京・パートナー有・33歳)
単なる裁判傍聴、裁判員制度のための模擬裁判傍聴、そして事件関係者として裁判傍聴をしたことがあります。単なる裁判傍聴と模擬裁判傍聴では、「もし自分が裁判員になったら」という観点を持って傍聴しました。さまざまな証拠、証人、被告人の事情などを考慮して有罪・無罪を判断しなければならないとはいえ、自分の感情が揺れ動き、その判断がとても難しかった記憶があります。
事件関係者として傍聴した時は、わたし自身に直接の被害があったわけではありませんが、被告人とその裁判官に対して、嫌悪感を抱いたことは否めません。ふてぶてしい態度の被告人を前に、「なるべく重い罪を科してほしい」と思いました。
いずれにしても、さまざまな形で裁判傍聴をして思うことは、裁判があまりにも国民の生活に組み込まれていなさすぎるということ。自分から積極的に興味を抱くか、自分が事件に関係しない限り、裁判傍聴すらせずに一生を送る人も多いでしょう。裁判員制度が始まれば、国民は等しく裁判員になる可能性が出てきます。学校や行政などと連携して、教育の一環として裁判傍聴の機会を与えるなど、子どもの時代から裁判に触れさせるような工夫が必要ではないでしょうか。
人が人を裁くことの限界(はるたいママ・東京・パートナー有・33歳)
一度、民事事件で興味を持った裁判があったので、霞ヶ関まで傍聴しに行きました。トラックの酒酔い運転による事故で、お子さん二人を目の前で亡くされたご両親が原告となった民事裁判でした。質問がまわりくどかったり、そんなことも必要なの?と思うものだったりしたのですが、それでも裁判官に伝えたい、という原告の想いは通じているような気がしました。
でも、裁判官がたとえば子どもがいなかったりしたら、あの原告の悲痛な叫びが本当に理解できるのだろうか、と疑問に思いました。足を踏まれた人の痛みは、踏んだほうには理解できないのと同様、傍観している他人(この場合は裁判官)には、理解不能なのではないでしょうか。加えてその裁判官の家族構成や人生観で、受け止め方がさらに異なってくるのではないか、ということを考えさせられました。
その意味で、人が人を裁く、ことの限界ってあるのかな、と思いながら帰途につきました。サリン事件の松本被告を訴える裁判が長年にわたり、巨額の税金がつぎこまれたかと思うと、それも裁判という制度上の限界があるのかもしれない(被告が通常の言動をしない場合など)と思います。
サラリーマンには荷が重い裁判員制度(A6M2・愛知・パートナー有・47歳)
10年ほど前ですが、民事も刑事も傍聴したことがあります。率直に言って、裁判所の中は、交通事故関係か傷害事件が多く、テレビドラマに出てくるような緊迫した弁論シーンはあまりないという感じです。民事事件ではあらかじめ提出した準備書面のやりとりで終わるのが通常だからです。
司法制度改革で、刑事の重大事件に限り裁判員制度が導入されるそうですが、司法を市民の側に近付けるという趣旨なら、殺人事件より、独禁法違反や景表法違反といった経済事件、環境汚染といった市民生活に密着した問題、または行政事件に参加するほうがベターだと思います。そのほうが裁判に市民感覚を生かすことができると思われるからです。
でも、裁判員になっても勤務先や取引先の理解と支援がないとサラリーマンには荷が重い上、刑事事件とかかわり合って、自分自身がお礼参りに遭わないかなど、不安の種も尽きません。

バランス感覚と思いやりの意識を忘れないで(MIYAさん・東京・パートナー有・30歳)
傍聴は学生時代興味を持ったことはありましたが、行く機会がまだ作れていません。ただシロウト考えで思うのは、やはり法律の言い回しはとても特殊で、門をたたく人しか受け入れないような傾向に感じます。また、そこで行なわれることは、究極的に言えば、「正か悪か?」だけが議論されているような場所という感じで、その過程で行なわれなければいけないはずの有意義な議論が、一般人に向けてはマスコミやテレビ番組でしか問題視されない。これは何かおかしい気がします。
わたしが知らないだけかもしれませんが、それだからいつまでたっても時代に沿った法律ができていかないし、ひずみが出てしまうのだと思います。少なくとも学生時代には、大学の中の1つの学部「法学部」の学生としてバランスがとれた人間形成であったはずが、医師もそうだと思うんですが、20歳すぎから極端に偏った世界に入り込んでいく。これでは社会に本当の意味で貢献できる専門家は育成されにくいのでは?
時々電車に乗っているバッチをつけた人たちの硬い表情を見ると、哀れにさえ感じてしまうことがあります。わたしも管理部門の人間として法律を扱っている事務所の方とお話することがありますが、ぜひバランス感覚と思いやりの意識を人間として忘れないでほしいと思います。弁護士、社会保険労務士、税理士など高学歴の方々も、このご時世大変な状況と聞いていますが、弱者の味方というだけでなく、社会がどう動いていくべきなのかを示唆できる立場にもいるという誇りを仕事に生かしていただきたいと思います。
責任の重さに二の足を踏みそう(いまいくん・埼玉・パートナー有・40歳)
残念ながらないですねー! 裁判の傍聴といえば、学生時代の一般教養課程で取っていた法学の授業で、ゼミ生による模擬裁判に参加したくらいでしょうか。これはテストを兼ねていて、その裁判の結果を踏まえて、判決と、その判決を下した理由をレポートにするというものでした。
ただ本物の裁判で裁判員となった場合、被告の将来を左右することになるかもしれないので、その責任は重大ですよね。興味はありますが、その責任の重さに二の足を踏みそうです。
傍聴できるような雰囲気ではなかった(omame)
去年、横浜地方裁判所へ行ってみたことがあります。新しい建物になったので興味を持ったのですが、法廷の中に入る勇気はありませんでした。掲示されている裁判の内容が、暴力団員の傷害事件とか、詐欺とか怖そうなものばかりでした。また法廷の周囲の廊下はとても静かで人気がなく、傍聴する権利は保障されているとは言っても、とても一般市民が傍聴できるような雰囲気ではありませんでした。
知人が裁判に関係するようなことがあれば(donkun・埼玉・22歳)
実際の裁判ってどんなものなんでしょうか? よく新聞やニュースなどで判決の行方をチェックすることはありますが、足を運んでまでは……というのが本当のところです。でも、もし誰か自分の知人が裁判に関係するようなことがあれば、ひょっとしたら、と思いますけど。ほかのリーダーさんでいらっしゃったら、ぜひ聞いてみたいです。

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