
現在離婚の調停中(ree-m)
今回のテーマの背景に挙げられていた、高学歴(?)・高収入夫婦に当てはまっている一人でした。夫からの身体的、言葉による精神的暴力を受け続け、現在離婚の調停をしています。自分がDVの被害者であると認識できたのは第三者からの指摘でした。それまでDVは対岸の火事だったのですが、すべての項目にあてはまる程の典型例だったのです。
なぜそこまで彼はわたしを攻(口)撃しなければならなかったのか。答えの出るものではないのでしょうが、暴力を武器にし、言葉でねじ伏せるという形でしか相手に勝てないと判断する加害者の焦りがそうさせるのでしょうか。彼の場合は、特に新社会人に成った時点で周囲から先生、先生と呼ばれる立場となり、上下関係も厳しくなく、ちやほやされて仕事をしてきたという経緯もあります。しかし配偶者であるわたしも資格をもち、優位差がはっきりしない。しかし同業の人たちがこんな人ばかりではないことも事実で、根本的にはその人の育ってきた環境など背景が大きく関わっていると思います。
一度しかない人生を悔いなく自分らしく生きるため、人の歪んだ満足感を充たすために、自分は生きているんではない。そう思った時、わたしにとって離婚は必然でした。これからはもう少し自分や自分の家族を大事に、常に感謝の気持ちを忘れずにいきたいと思っています。
半同棲で「顔が好みでない」はないでしょう(sachamaru・北海道・29歳)
以前付き合っていた彼から色々と傷つくことを言われました。特にショックだったのは「顔が好みではない」という言葉。半同棲のような生活で毎日顔を合わせていたので悲しくなりました。機嫌が悪いとすぐにわたしに向かって棘のある言葉を投げつけ、わたしが黙っているとそれも非難されました。でも私が惚れたという弱みがあったので我慢していました。今思うと、彼自身の劣等感や自信のなさが原因だったような気がします。しかし我慢は長く続けられるものではないですね。
夫の言葉で、結果、心療内科にお世話に(いつこ・福岡・パートナー有・44歳)
一番悲しく、辛く、人間性まで否定した夫の言葉は「お前は俺が食わせてやっているんだから俺が喜ぶことをしろ。キャリアウーマンだったらそんなことはしなくていいんだ」。あまりの恐怖でその場を納めることしか考えられなかった。翌日の朝はなんとか家族を送り出したのですが、涙が止まらなくなり、食事も水分さえ取れず、泣き続け、どうしても「許せない、これは絶対にDVだ、負けるか」と、役所の相談コーナー・警察・友人とあらゆる人に電話をし、はれた顔で自転車をこぎ相談に行ったのです。帰りにはフラフラになりながら、病院にたどり着き点滴を打ってもらうほど疲れ果てていました。夫はDVの意識はまったくなくわたしが顔を腫らして隣の部屋で寝ていても理解できなかったようです。
結局、恐怖心が先にたつので会社に行ってから電話で別居を提案しました。しかし、いまだに一緒に暮らしています。毎日が黒い雲で覆われているような生活です。子どもの理解が得られなかったことと、金銭的に折り合いがつかなかったこともありますが、それまでの数年間、言葉の暴力で完全に自信をなくし、外で働くことができなくなって心療内科にまでお世話になってしまったことが大きいですね。今は少しずつリハビリ中です。「わたしは絶対に幸せになってやる」毎日、心の中で叫びながら進んでいます。
彼の方が正しいと思われて(kai_w・千葉・パートナー有・30歳)
学生の時、交際していた彼に大学構内で人の見ている前で殴られたことがあります。彼の母親がわたしのことを気にいらなくて、性格を直すように言われていました。対人関係で悩んでいたので、友人も多かった彼の方が正しいと思ってしまいました。得たものもありますが、その後ずっとひきずってしまったため、随分失ったものもあります。10年近くたってようやく自分を取り戻しはじめ、周りを見ると自分を軸にパワフルに生活している女性がたくさんいることに気づきました。悔しさやなくした時間にくじけそうになるとき、このサイトのパワーにとても助けられています。
5年も幸せだったなら、もういいだろう?(中裕・東京・パートナー有・39歳)
前夫から、暴言を受けました。結婚5年目の事です。前夫自身が浮気相手との結婚を望み、わたしへの攻撃が始まりました。いろいろといわれたのですが、一番ひどかったのが、「(結婚して)5年も幸せだったのなら、もういいだろう?」でした。
言われて、力が抜けた(まめまめ)
専業主婦だったときに、「どうせ、暇な専業主婦なんだろう」っていうのは、言葉の暴力に入りますか? 言われて、力が抜けたのを忘れられません。