

要求を押し付けるだけの会議
(お江戸で小猿、トム吉!・東京・パートナー有・47歳)
会議を無駄と感じるケースが2通りあります。まず一つは、営業部門に多く見られる、召集を促した人間が、集まった人間に対して、一方的に自分の要求を押し付けるだけの、会議という名の「目標押し付け会議」。これには誰もが別の用事を探して逃げまくるようになります。
次に、自分が主宰する立場に立った時に、会議が無駄だと感じることがあります。それは、事前に会議の概要や議事項目を連絡しているのに、討議内容に対して全然意見を出そうとしなかったり、居眠りをしたり、揚げ句の果てには、全然関係のない質問ばかりしてきておいて、話した内容を全然把握していない行動を部下に対して取る人間がいる場合には大変むなしくなります。
会議のためにある「無駄」という言葉
(たみたみ・東京・パートナー有・30代)
無駄です。もちろん各部署で行う会議は一概に言えないと思いますが、わたしの職場では月に2度くらい、ほぼ全員が集まって行う「会議」があります。10人超えたら会議とはいえませんよね。「伝達会」くらいにして、意見はそれぞれの部署でまとめてくれ、といつも思っています。そんな状態なので、自分が話し合いに参加しても役に立たない議題が多く、貝になってしまいます。それでも、「自分」を主張する人がいて、時間は長くなるばかり。「無駄」とはこの会議のための言葉と常々考えています。
会議嫌いになったきっかけは
(laila・東京・パートナー有・33歳)
以前担当していた工場での会議が、まさに無駄そのものでした。時間に対する意識が低すぎたのです。まず、遅刻するのは当たり前。席の後方では進行と別の話をして盛り上がる。質疑応答含めて一人につき15分と定めているのに、30分、40分と時間オーバーする。しかも肩書きが上の人のほうが、たいてい時間にルーズなのです。「わたしはこの会議のために、電車とバスを乗り継いで4時間かけてきているんです。決められた時間は守ってください」と、一度議長にクレームをいれたのですが、大して改善されませんでした。この経験があって以来、今でも「会議」と聞くと逃げたくなるほど、大の会議嫌いになりました。
「えー」とか「それでー」が無駄につながる(binko・関西・パートナー有・40代)
会議などたくさんの人たちが集まる場合は、必ず進行役(司会者)が、必要で、一人一人が短時間で、要領のいい話し方が求められると思います。そのためには、それぞれが、前もって何を言いたい(結論)かなど、話し方の練習をしてほしいと思う。「えー」とか「それでー」とか、話の継ぎ目継ぎ目で、同じ言葉を言っている人を見てると「もっと話し方の練習して来てほしい」と思うし、この間(ちょっとした間だかもしれないが)時間の無駄を感じる。人が多いとちりも積もれば山となって、時間の無駄この上なしである。
生産的に行うための必要な手順(メイ・サートン・兵庫・パートナー有・39歳)
仕事柄自分が議長として3〜10名くらいの会議設定を行うことがよくあります。気を付けていることは、2、3日前に、1.アジェンダ(複数あればすべて)を参加予定者に送り、2.会議の冒頭に今日のゴール、つまりどのようなことを話し合って結論を導きたいかを話し、3.会議終了後、遅くとも翌日までにミニッツ(会議録)を送りお互いの理解を確認し文書で残す。という作業をしています。時間は取りますが、お互いの時間を生産的に使うためには必要な手順だと考えています。
会議のための会議は無駄(ぴょんこ・大阪・パートナー無・38歳)
会議は物事を決めるためにするものだと思っていましたが、前の職場では結論を出すために会議を行っているという感じではなく、会議のために会議をしているという感じで、非常に時間の無駄を感じました。とくに男性は「自分たちは会議しているんだ」という雰囲気が好きなように思いました。
必要な時に必要なことを話し合う(ゆちぞ・愛知・パートナー有・36歳)
毎週水曜日に、わたしの所属しているプロジェクトの定例ミーティングがあります。すでに2年近いプロジェクトで、そろそろ週一でなくてもいいのでは、と思うような内容のこともよくあります。なんとなく集まって、先週とさして変わらないことを議題にして、結局急ぎではないので何も決まらず、次回以降に持ち越し。しかし、このミーティングのメンバーの誰かが、いつもの時間に都合が悪いと、容赦なく定時後の開始時間になってみたり、翌日に延期になったり。必要な時に必要なことを話し合うのが会議ではないでしょうか。
進行役の進行・統括能力が問われる(琳琳・神奈川・パートナー有・36歳)
進捗状況の報告のみの会議はまったく無駄だと感じています。さらにメールや紙でほとんど同じような内容が回覧されたり、それがレジュメとして配られたり。会議は意見を出し合い、結論を探る場。各参加者の討議能力はもちろんのこと、進行役の進行・統括能力が問われると思います。
みんながテーマを意識して行う会議(richun・大阪・パートナー無・34歳)
気合を入れるためだけの月曜朝のミーティングや、気合いを入れ直すための定例会議など、おざなりな会議は意味がないと思います。わたしが勤めていた会社では、広告制作に関わる仕事柄、会議というより「ミーティング」や「ブレスト」と呼ばれるアイデア討論会みたいなものがことあるごとに行われていましたが、これは仕事を進める上で必要なプロセスです。ただし、これも集まるメンバーによっては、「自由なアイデア」など言える雰囲気にならない場合や、社長をはじめ、決定権を持つ偉い方々の独壇場に終わることもあります。やはり、会議は何のために行うのかという「テーマ」と、それをきちんと意識しているメンバーで行ってこそ有意義なのではないでしょうか。

集中できる時間は限られている
(reiny・東京・パートナー有・45歳)
会議自体を無駄だとは思いませんが、人間には集中できる時間というものがありますし、長々やるよりは短時間で要領よくやってもらうのが一番だと思います。
討議が苦手な人が多いのかも(donkun・埼玉・22歳)
効率よくやれば無駄でなくなると思います。インターンでアメリカのNPO団体で働いた経験があるんですが、日本と同じように会議することが多かったんです。でも、一人ひとり平等に発言する機会があり、またブレインストーミングや専門家などを呼んだ「会議+セミナー」を行うなど、多分ふつうの会社とは違うせいもあるかもしれませんが、まだ学生だったわたしには新鮮に映りました。
もちろん、日本でも無駄のない会議をやっている所も少なくないと思います。以前テレビですごい人をみたんですが、速攻でした。要は中身であって、形式にこだわることはないとのこと。「会議を改善するための会議」なんてやってるから、無駄だと感じるのかも。そもそも日本ではディベートの練習すらないのですから、討議が苦手な人って多いのかもしれませんね。
了解を得て欠席することもある(Hanapi・東京・パートナー無・20代)
わたしは外資系企業に勤めていますが、自分自身が出席した会議で、無駄だと思ったものは、ここ数年ではありません。形式的なもの、自分は結果だけを知ればよいものについては参加者の了解を取って欠席しますし、参加するからには自分で何かしらの情報、アドバイス、結論を得よう、と積極的に参加し発言していることの効果かもしれません。
ただ、ほかの会議の議事録を見て、「こんなことを決めるためだけに、これだけのメンバーでこれだけ時間を使ったの?」とあきれることはあります。会議を行うことによって、ストップされるほかの仕事の効率、時間当たりに直した時の人件費、部下の人件費や勤務時間にうるさく目を光らせる上層部でさえ、自分自身の効率にまだまだ改善の余地があることへの認識が甘いと感じることがあります。

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