

30代でも新しい地域社会にとけ込めた(ゆりぼたる・岩手・パートナー有・51歳)
わたしは子ども時代も海外生活を経験しましたが、結婚してから家族でカナダに1年間生活しました。30代になっていましたが、地域社会にうまく溶け込んで生活できたと思っています。
拉致被害者のお子さんたちの適応は、意外に早いのではないかと思っています。若いうちは新しい環境を比較的早く受け入れると思うからです。何よりも彼らの周りには、日本人である両親と親戚が温かく取り巻いていることは心強いことだと思います。早く言葉を習得し、学校生活が始まれば同年代の友だちもでき、きっと日本社会を受け入れていくことと思います。
アメリカで感じた懐の深さや生活の多様性(はるたいママ・東京・パートナー有・33歳)
一人目の子どもが1歳になるまで、育児休暇を最大限利用して、主人の転勤についてアメリカのインディアナに住みました。それまでの人生であまり引っ越しや転居がなかったせいもあり、とてもカルチャーショックを受けました。インターネットで何から何まで予約できることは、その当時とても新鮮でしたが(5年前です)、町の水道屋さんとか引っ越し業者の時間を守らないところは、日本では考えられないところでした。
トールフリーに電話を掛けて、つながったと思っても「少々お待ちください」と言われて20分以上待たされることもしょっちゅうありましたし。ショッピングでは、ウォルマートなど、その規模と値段の安さが衝撃でした。そして、大学には、社会人になってからも勉強を続ける家族もちの男性が多く、それにもびっくりしました。「それでも生活できる社会」というところに懐の深さや生活の多様性を感じました。日本では、とにかく会社勤めを辞めて何年も大黒柱が勉強をするなどという選択肢は許されないような気がしました。
未知の大陸、アフリカ(しろりむ・三重・パートナー無・36歳)
大学生のころ、アフリカの美術品を集めたマコンデ美術館に行ったことがあります。木彫りのお面や装飾品などが展示してあったのですが、館内を一回り見た後、頭が混乱して気分が悪くなったのを覚えています。あれはたぶんカルチャーショックだったと思うのです。
それまで西洋美術・東洋美術にはマスメディアなどを通して、ある程度慣れ親しんでいたのですが、アフリカというのは当時のわたしにとってはまさしく未知の大陸で、その文化に直接触れたことで、おそらくわたしの中の何かが大きく揺すぶられたのだと思います。それがある種の「混乱」を引き起こしたのだと思うのです。
たった一時間ほどの経験だったのに、そのインパクトは今でも鮮明に覚えています。異文化と出会うことは精神的な喜びでもありますが、ときにそれが強烈すぎると身体的な拒否反応を伴うのだなと思いました。でもまたいつかあの美術館に行きたいと思っています。
自分を成長させる材料になる?(mij・パートナー有・40歳)
転職によって、同じ事務職でも随分仕事の内容が変わり、戸惑いました。でも、恐れず前向きに取り組むことでやりがいのあるものとなりました。
英会話教室に通った時も言葉の違いがこんなにもコミニュケーションを取るのに大変なものかとも感じショックを受けたのと同時に、何とか習得したいと意欲が湧きました。カルチャーショックを受けることにより、次へのステップになれば自分をより成長させる材料になると考えています。
レディーファーストという習慣(norieda)
欧米を旅行した時、道行く人でも目が合えば、ニコッと微笑んだり、“Hi!”と声を掛けて挨拶したりします。郷に入れば郷に従えで、わたしも“Hi!”と挨拶を返します。そして一番カルチャーショックを感じることは、レディーファーストという習慣です。エレベーターを降りる時、ドアを開けて入る時、出る時、少年でさえもこの習慣が根付いています。日本に帰ってきて、われ先に出口から出ようとするおじさんを見ると、げんなりしてしまいます。
笑いの本場・大阪で(いつき・大阪・パートナー無・27歳)
京都出身なのですが、大阪の大学に入学してすぐ、大阪生まれの友人にちょっと冗談を言ったら、すぐ頭をペシッと叩かれて「何でやねん!」と言われた瞬間、「これが大阪のツッコミか!」と感激しました。同じ関西でも京都は抑えめ。やはり笑いの本場・大阪では普通の会話にも「のりツッコミ」があって楽しいです。今ではすっかり身に付いています!

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