
マイノリティになってみてわかったこと
(zukko・広島・パートナー無・39歳)
聴覚障害児の国際交流キャンプに同行したことがあります。参加メンバーは、韓国、中国、台湾、マレーシアなど、アジアを中心とした地域から、約200人の聴覚障害を持った高校生たちです。
その中では聞こえることはマイノリティ。スタッフでありながら、なんとなく全体の流れに乗れない、そんな気分を味わいました。みんなが国際手話を習得しているわけではないのに、どんどんコミュニケーションの輪が広がっていきます。わたしたちスタッフのほうがよっぽど意思疎通に時間がかかるようでした。
聞こえないからコミュニケーションに障害があるわけではない。障害だと考えるのは、聞こえる側の偏った見方ではないか、と感じる体験でした。
誇れる日本文化に出会ってから
(Lindo・東京・パートナー有・34歳)
海外に留学していたこともありましたが、何よりカルチャーショックを受けたのは国内ででした。結婚してそれまで住んでいた埼玉の住宅街から品川の下町に引っ越してきましたが、家の前は旧東海道で、周りの住民の方たちはきっぷのいい下町っ子。みなさん非常に元気です。子どもが危ないことをしていれば、誰もが大声で注意しますし、隣近所とも若い人もお年寄りも関係なく近所付き合いをします。日本古来の伝統的な文化も色濃く残っていて、毎年お祭りの時には、はっぴにねじりはちまきで粋に決めます。
人口が多いだけで、特に何も文化といえるものがない住宅地で育ったわたしは、外国に行っても日本文化を誇ることができなくて、悔しい思いをしました。でも、そんなことない!と非常にうれしくなりました。今は、このお祭りをみんなに見てもらいたくて、毎年この時期には友人を大勢呼んでいます。
向けられた冷たい視線と態度
(ダヤン・千葉・パートナー無・42歳)
海外で人種差別を受けたのはショックでした。ニューヨークでは黒人の方から、パリでは白人女性から。明らかに見下した態度は忘れられません。別にわたしが恥ずべき行動を取ったわけではありませんでした。その時初めて、欧米人の黄色人種に対する考えが身をもってわかったような気がします。
日ごろは人種差別なんて言語道断!と思っていましたが、特に黒人の人からの冷たい視線、態度に「えー、黒人の人からも……」とショックを受けた自分の身勝手な考え方、それ自体もショックでした。快い思い出ではありませんが、日本ではけっして体験できない本当に貴重な経験です。
原住民族の生活に
(sunday・埼玉・41歳)
昔、ワーキングホリデーでオーストラリアを訪れ、ひょんなことから原住民族であるアボリジニの人たちの保護地区で仕事をする機会に恵まれました。そして、あるご家族と仲良くなり、一緒の時を過ごさせていただきましたが、ものすごいカルチャーショックを受けました。なんともテレパシーを感じさせられる生活で、あ然とすることが多く、大自然の中で共存する彼らから、豊かさとは何かと考えさせられました。
広さと大きさに面食らって
(matissee・兵庫・パートナー有・41歳)
今から20年以上も前、19歳の夏、初めてニューヨークを訪れ、短期のホームステイをしました。都会でも、隣家までの敷地の広さと家族構成に対してなんと大きいな家。暮らしてみて、地下室にあるランドリールームや洗濯機の大きさ、各個室にあるバスルームには、面食らいました。日本は土地のないぶん生まれない発想ではないでしょうか。どんなにお金があったとしても! とても狭い家に生活しているだけで、考えが貧相になる気がします。
空気の違いに驚き
(purplish・東京・パートナー有・50歳)
わたしにとってのカルチャーショックは、結婚そのものです。パートナーの実家で暮し始めた瞬間から痛切に感じました。生活習慣や食文化の違いよりも、何よりも空気の違いに驚きの連続でした。国籍とか人種といったものではなく、自分にとって身近な、何気ない瞬間に感じたからこそ、当時20代前半のわたしにはことのほかショックに感じたのかもしれません。本格的に世間とかかわる戸口に立って初めてその風にさらされたようなものだったのでしょうが。
異文化に接することは決してマイナスではない、と思います。むしろ異文化を身近に感じて接することで、自分のバックボーンを知ることにもなるし、何より世界の広がりを知るきっかけとなると思っています。
手巻きずしを初体験したとき
(タッキー5号・千葉・パートナー無・35歳)
自分がまだ小学2年生の時、友だちの家で夕食をごちそうになりました。そこで出てきたものが手巻きずしだったのです。自分でのりを持ち、ごはんを乗せ、ねたもいろいろと組み合わせて巻いて食べる。今だに実家でしたことがないので、今でも強烈に印象に残っています。
自分たちの文化に誇りを持つ人たち(asmic777・パートナー無・29歳)
沖縄本島のさらに先の八重山諸島に旅行に行った時、衝撃的なカルチャーショックを受けました。言葉、食事、信仰、思想何から何までまったく違っていました。最も強くカルチャーショックを受けたのは、自分たちを日本人だと思っていないことでした(人にもよると思いますが)。わたしが出会った人たちは「琉球人だから」と、みんな誇らし気に言っていました。自分たちの文化に誇りを持っているその姿に感動すら覚えました。同じ日本という国でありながら、まったく異なる文化に日本という国の大きさを感じました。
国民性の違いを表す心に残る一言に(ちび子・東京・パートナー有・41歳)
以前、仕事をしていた病院で、意見を戦わせる在日韓国人の上司と意見を言わないで内にこもる日本人の部下が、よくぶつかっていたことを思い出します。そのときの院長先生(在日三世の先生でした)の言葉が今も心の中に残っています。「韓国人は砂の民族、日本人は土の民族。どちらも水を掛けると固まるんだけど、韓国人は独立意識が強いから、そのうち乾くとバラバラになっていくけど、日本人は集団意識が強いから固まってそこから芽を出すんだ」。
つまり、組織力で伸ばすには日本人が得意だけど、個人の力で何かを立ち上げたりするには韓国人のほうが優れているということです。そのときは若かったせいか文化的違いがよく理解できなかったのですが、その後、民族の入り交じるアメリカで仕事をしてみて院長の言っていた意味がよくわかるようになりました。今考えても、とても印象的な言葉です。
自分を成長させる材料になる?(mij・パートナー有・40歳)
転職によって、同じ事務職でも随分仕事の内容が変わり、戸惑いました。でも、恐れず前向きに取り組むことでやりがいのあるものとなりました。
英会話教室に通った時も言葉の違いがこんなにもコミュニケーションを取るのに大変なものかとも感じショックを受けたのと同時に、何とか習得したいと意欲が湧きました。カルチャーショックを受けることにより、次へのステップになれば自分をより成長させる材料になると考えています。