

共働きが偏見で見られる(はるたいママ)
2児の母です。上の女の子の時にはなかった悩みが、下の男の子にはあります。甘えん坊で笑顔もかわいいのですが、カッとなると言葉が出ない分、手が出てしまって。いくら怒っても、同じことの繰り返しです。保育園でも少し問題児扱いされているようで。でも、担任の一人の先生が、理解ある方で、根気強く言って聞かせて、と頑張ってくれているので、わたしも普段から、家で忍耐強くしつけるよう頑張っています。「わかった!?」と強く叱っても、心に届かないようなので、今はこういう方法を取っています。
それにしても、こういう悩みを相談すると、「それって保育園に行っていて、親と接する時間が短いからじゃない」と言われることも多く、まだまだ何か悪いことがあると共働きのせいにされてしまうのかな、と悲しくなることもあります。それだったら、保育園児がみな暴力的、ということになりますよね。もちろん、寂しい思いをすることもあるのでしょうが、それがすべての原因にならないよう、日々の接し方で努力しているつもりですが、これだけ共働きが増えても、何かあるとこういう偏見で見られるのだな、と思います。
一生懸命子どもにかかわっているつもりだが(ニャニャ・熊本・既婚・42歳)
2年前に結婚して突如、2児の母になりました。中2と中1、まさに今話題の年齢です。長崎の事件では胸が痛くなりました。被害者の家族はなおのこと、加害者の家族も生きた心地がしないことでしょう。親の責任、育て方がうんぬんと言われると、いたたまれない心地です。
親としては一生懸命子どもにかかわっているつもりなのに、伝わらなかったり、伝えられなかったり。自分の子どもの時を振り返りながら同じに思えたり、想像もできなかったり。うっしーさんのおっしゃるとおり、昔からいろんな事件や事故が起きて、情報の速さに加えてやじ馬的なニュースの掘り下げ方。いっそう深刻かつ自分は違うという変な安心感により、当事者に責任を押し付けているような気がします。なかなか意志が通じない子どもたちに見てるよ!という行動を表現するように気を付けているつもりですが……。つくづく親とはなんと偉大なものかと思うこのごろです。

「親の目・接し方」が大切(mamick)
子どもが小さいうちは、被害から守るために。少し大きくなってからは加害者になってしまわないために。いずれにしろ小さいころからの「親の目・接し方」が大切だと思います。いい面だけの子なんていません。時折、顔を覗かせる「悪い面」を早めに察知して良い方向に促す役割が親にはあります。たとえば、小さな虫などを捕まえてきて、翌日に死んでしまっていたときや、わざと死なせてしまったときにどう接するか? 一緒におもしろがったりしては絶対にいけないと思いますし、叱ってもいけない。一緒に考えて、一緒に泣いて、命の大切さとは時に体を張って教えるものなのです。その子の「サイン」を見逃さないために、親は対応する知識を持つべきだと思います。それは児童心理学などの学問で得るものや、自分の親や近所の年配の方のアドバイスなどでもいい。子育てではかじ取りを絶対に誤ってはいけないシーンがあるにもかかわらず、あまりにもかじ取りをしようとしない親が多いのかもしれません。「放置する」と「見守る」は似て非なるものです。自分自身も毎日のかじ取り、必死です。だけど必死(=真剣)な態度というものは、ちゃんと相手である子どもにも届いていると信じています。

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